2019年12月31日火曜日

12月31日

12月31日になった。
今日は奈良へ帰省しようと最後の仕上げにかかっている。
お風呂場の排水溝に冷蔵庫の中身を全て調理し、今年家でお世話になった衣類たちを洗濯した。

最近、朝起きて寒い中、お茶を淹れて魔法瓶に入れたり、色んなところの拭き掃除をしたり、その時間が好きである。
年末に出会ってしまった稲垣えみ子さんの本。
いつかの吉本ばななさんとの対談で気になっていつか読もうと思っていたものを思い出し、図書館で借りた。

年末に多分もってこいの本だった。
究極の片付け本になると思う。
ご本人は片付けるためにこうしたわけではないけれど、今一度自分のすべての持ち物について考えることとなった。

まず家電。
私は東京に来て11年になる。その時に買った家電と何ら変わらないものを今でも使っている。
ただそれを見直してみた。
トースターについて、これに限ってはパンと餅を焼く以外に使っていない。これは焼き網かフライパンか魚焼きグリルでも代用が出来るとのこと。

電子レンジ
これについては非常に便利であるが
冷凍した御飯と、冷たくなったものを温める。あとはガスで調理中電子レンジでさくっとやってしまった方が早いものもある。
全部蒸し器でいける。
そうすると私の小さな冷蔵庫の上に乗っていたこの二つが必要なくなってくる。
そうしたらこの上にスペースが出来て野菜の籠が置けるのだ。

という理想。
今のところまだ電子レンジは渋っているのだが、全て蒸し器でいけることを実証しつつ新しいスペースの確保をしていきたいと思う。

まだまだ来年の計画としてシミュレーションしているのだが、そうすると一つ一つの道具が大切に思える。
トースターが無くなればパンと餅を焼くときの網をめちゃくちゃ大事に手入れする。
蒸し器で温めると鍋をむちゃくちゃ大切にする。
一つ一つの道具を愛でながら過ごしている。
必要なものを必要な分だけ、そしてその道具がいつも輝いていられるような環境にしてあげたいと思った。

来年はもっと身軽にして羽ばたきたい。

最後は全然関係ないけど
題「熱を放出する猫」


2019年12月29日日曜日

3年熟成酢

出ている雑誌などを見て旧友が連絡をくれることがある。
今日は3年ぶりくらいにその友人に会った。
大きなバイクの免許を今取っている話を聞いて、大型だと力がいるから大変だと言うので、私は膝が悪いので難しいかもしれないと言ったら
「オスグッド」
というので膝に良い、そういうお酢があるのだと「お酢GOOD?」と返した。
年末に新しい言葉を知り、3年ぶりに友人の大笑いを見れて幸せな気持ちで早めの今年にバイバイした。

2019年12月25日水曜日

ぱちくり

パクチー売り切れ率が高いスーパーも、この日は残っているだろうと考えた私のタイ料理は悲惨な味だったメリークリスマス


2019年12月24日火曜日

おじいちゃんの時計

私には大切な時計が一つある。
家にも時計を置いてなくて、母が泊まりにきては
「あんたの家は時計はないのか」
「もうこんな時間や」

と11年言い続けている。

多分あんまり時間に縛られる生活をしていないのと体内時計の関係でそんなに時計を見なくても良いようになっている。あとは多分携帯があるというのも一つ。

ただ、私には大切な時計が一つある。
おじいちゃんの形見とでも言おう、おじいちゃんの腕時計だ。(正式に言うとお婆ちゃんのお兄さん) イギリスに修行に行く前にお婆ちゃんが「あんた、これ」と戦争で負傷しても生きて帰ったおじいちゃんのやからと渡してくれた。
ずっと日本時間のまま肌身離さず持っていた。

その時計も電池が切れてずっと止まったままだった。そしてバンドのベルト部分というのが切れて無くなっていたので、針金で止めていた。
そんなこんなで最近年末ともあって色々と整理をしていて、「本当に大切なもの」について考えた。次の日、ずっと気になっていた人形町の大通り沿いの「佐野時計店」に持っていった。

他の方の投稿を見てもらうと分かると思うけど、かなり入るのに勇気がいる。だけど入って良かったし、また来たいと思った。宝物の時計が佐野時計店によって更に宝物度が増した気がする。


2019年12月23日月曜日

髪と世界

髪を切った。
いつぶりだろうか美容室に行ったのは。
ずっとロングをやらしてもらっているせいか、
髪を切ってから思ったけど
自分の身体の中で興味を持ってあげていなかったのだと気がついた。髪が長くて多くてどうしようもないからいつも結んで何事もなかったかのようにヘアバンドであげていた。

髪を切って、髪を触る女子の気持ちが分かり、そしてお洋服を選ぶことが楽しくなった。靴も。
やっぱり諦めちゃいけないんだな。

2019年12月22日日曜日

舞台後の1日の過ごし

朝早くに起きて、9時まで朝御飯や朝の時間を過ごし、そこから思い付いた用事を全て済ませに出かける。
12時過ぎに一度帰宅し昼御飯を食べ、
買って帰っていたスイーツも一つ。
お茶もいれた。

ソファに座り、「座る人」という像があったら忠実に再現した状態で仮眠をとっていた。
目が覚めて15時くらいから映画を一本。
そのあと高島屋の新館に行ってみようと思い立ち、ウロウロした後、所謂デパ地下でお買い物をしてみる。
眩しくてセレブみたい。

2019年12月21日土曜日

舞台 フラガール 仙台公演 完

無事に仙台公演が終わりました。


本当にたくさんの方々にお越しいただいて、たくさんの笑顔に会えました。

8月から稽古をしてきた皆と
「また明日ね」が「じゃあなー!」に変わってしまったよ。



たくさんの思い出が有りすぎて、今は整理もついていないけれど、無事に終わって、それが何よりです。


幕が閉じると同時にまた新しい出発です。

2019年12月18日水曜日

エリザベス

仙台公演に仕上げて行くために最後の耳鼻科に行った。
以前耳でお世話になって、二度目の受診。
エネルギッシュな先生なので、もう治った気分。
鼻声をとにかく治したいと頂いた点鼻薬の名前がエリザベスであることに若干心が沸いた3秒。

実際はエリザス。


2019年12月17日火曜日

ハナミズ

日付が変わろうとしている頃、一本の電話があった。
何度かこのブログにも登場している亡き塩屋監督の奥様ゆかりさんからだった。
もうすぐフラガールの仙台公演が始まるからと電話を下さったのだ。今の私に、タメになることをいくつか教えて頂き、話していくうちに今悩んでいることを打ち明けた。

「一つ一つ答えを見つけていくからお芝居だと思うしね」

フラガール東京公演終演後
ゆかりさんと

2019年12月16日月曜日

900円か1300円か1500円

「2000円くらいのクリスマスにプレゼント交換が出来るもの」というお代で
不特定多数の老若男女がなんとなく喜ぶというよりは使う、そして自分では買わないかも知れないものというものを探した。

色々お店を回り、だいたい最近のお洒落で流行りっぽい雑貨とか歯磨き粉とか歯ブラシとかhand washとか
900円か1300円か1500円かもうそれ以上かというのが大体で、組み合わせるか何か一つで見せるか、しかし一つで迫力のあるものになかなか出会わない。
たどり着いたKITTEにあるThe Shopの店員さんに相談にのってもらった。


と、これ



年末お掃除せーよということになってしまったが、the magic water は THE SHOP の店員さんも使い続けて4本目。
油汚れが本当に落ちるのだそう。

スポンジは食器用とお風呂掃除用がある。ゴムが入っていて洗剤要らずなのだそう。

https://the-web.co.jp/



2019年12月15日日曜日

茶碗蒸しとプリン

吉田羊さんが主演の映画「嫌な女」
を見ていて、永島暎子さんの台詞で好きな台詞がある。
「人はねプリンを食べているときは怒れないの」

プリンを食べているときは確かに幸せだ。
去年、長期のスペインロケがあった。初日の晩餐でご一緒した監督に「もし明日死ぬなら何が食べたい」という質問で茶碗蒸しかプリンと言った。

ハンバーグも好きだけど明日への活力を大いに感じる気がするから、自分のために
滑らかに。

本当に死ぬほど過酷な撮影であったことは一年経ったから言えること。

2019年12月14日土曜日

モンスターボール

昨日久しぶりの全体稽古でなんだか活力が上がった。
平熱35度台の基本的に省エネモードの身体ではあるが、自分の熱を知る瞬間でもある。
声は鼻声で、かなり低いことになっていた。
一度風邪を引くといつも鼻周辺が長引いてしまう。去年は後鼻漏(コウビロウ)という症状がしばらく続き、一体なんだと思いながらも名前がハシビロコウに似ているからまぁ良しとしていた。
やはり身体がしゃんとしないこともあってか朝6時に目が覚めてこのまま起きてなんやかんやしようと思うのだが、寒くて外に出られず。そこからディープな夢を四つ見た。二つしか確かな記憶はないけど実話に基づいてて情熱と、そして涙と、涙は夢と現実の境に何もなく、宮大工の素晴らしい手仕事のようだった。

風邪のお陰で色んなお誘いも断ることになっていたここ1週間、先程ウスタビガの羽化の動画が友人から送られてきて、一生懸命繭から出ていくので、私も外に出掛けようと思います。




2019年12月13日金曜日

僕は今毎日のほんのささいな出来事でも良いから毎日鹿日記を更新したいよ。

2019年の下半期はずっとアドレナリンを出しっぱなし状態だった気がするので、東京公演が一先ず終わって、2日寝て、起きて撮影に行き、自分の日常ってこうだったっけ?と思い出しながら過ごしています。
休む暇もなく仙台公演の稽古が始まり、
日本初のお城でコレクションが開催されるとのことで久しぶりにランウェイを歩き、タヒチアンダンスで鍛え上がった身体はとても歩きやすかった。だけどどんな風な心のポジションで歩けば良いのか自分の精神を探った。
撮影でもどんな表情というか私たちはお洋服を目立たせるお仕事であり、どんな顔をカメラに向ければ良いのか分からなくなっていた。
そんな戸惑いながら日々を過ごし、異常なまでに身体が熱く、稽古を早退した。

多分強制終了のボタンが押され、寝なさいよということなのだと毎日本当に魘されて起きる。特に夢を見た記憶もないけれど自分が「うーん、うーん」と言いながらその声で起きる。
ホラーです。

今日も元気に稽古に行って参りますが、
「ん」と「ま行」がよく鼻にかかかって響きます。


2019年12月11日水曜日

お母さん役

今回、お母さん役の方が変わって、全体のお芝居がグッと変わりました。
映画のフラガールでもお母さんの一言がもう胸に打ちまくって涙涙のシーンです。

稽古の時から何だこのお母さん。す、すごい。ともう毎回気になって気になって、芝居経験の少ない私でも、何かが違うとずっと思っていました。
そして本番を迎えたあとお客様からも「お母さん」という言葉がすごくて。。

お母さん役の生方さんとは絡みがなかったので
全然お話しできませんでしたが、打ち上げのあと少しだけお話ししました。
「私、ひろみちゃんの芝居好きだよ」
台詞の少ない私のお芝居を見てくださっていて、それだけで感動して、
この凄い人にこんな風に言われている私はやっぱりお芝居は分からんと苦しんでいた渦中でしたから。

もう終電も近くて私の想いは伝えられず、でもその次の日朝起きてもどうしても伝えたいことがあるって、生方さんにメールをしました。
気持ち悪いくらい長い文章で生方さんのお芝居に感動したこと、そして「ホンモノを見た」という、なんかもう居ても立ってもいられないこのソワソワした気持ち。私の中でお芝居には必ず何かがあるって思わせてもらったお母さん役生方さん。

優しい返事が返ってきたあと、生方さんと仙台公演で色々話す約束をしました。

まだ私の中で生方さんの情報は、
●二児の母である
●生方さんから塩塚さんになった
●うぶちゃんとかそんなんで良いよ
●高校生の時(?)つかこうへいさんに見出だされた人

生方さんのどうやってこういうお芝居になっていったのか凄く知りたい。


右上の生方さん


2019年12月10日火曜日

舞台 フラガール 東京公演 完

お久しぶりになってしまった鹿日記。
無事に東京公演が終わり、本当にたくさんの方にお越しいただきました。そしてたくさんの笑顔に会えました。
2007年に日本アカデミー賞をとった作品ともあって、ファンの方々も多い作品です。
映画の脚本を手掛けた羽原さんが舞台版に書き下ろし、演出も羽原さんです。

今回僕は本当にたくさんのことを学びました。
舞台、ひょんなことから始まって、今まであまり分からずにやっていたというのも事実です。
今回は再演ともあって、毎公演毎公演試させて頂いたことがありました。言い方ひとつで全然お客様の反応が変わり、めちゃくちゃなるほどと思いました。
羽原さんのダメ出しはここ3年ずっと聞いていましたが、やはりそれは体感して初めて分かることでした。
舞台って実はとても面白かったのだと初めて思いました。今まで本当に泣いたり泣いたり、悔しかったり怒られたり、物凄い言葉が飛んでくるお稽古ではありますが、稽古場でやっていることは数十パーセントのことだったんだ。お客様がいるから舞台が出来上がる。そう今回は思いました。そんな風に思えたなら、稽古もむちゃくちゃ頑張れます。

ラストのタヒチアンダンスへの3ヶ月半の腰振り稽古、本当に地獄でした。
この地獄を味わうと何でも出来るんじゃないかと思えるほど。
そして僕は新しい光を見ました。
背が高いこともあって、一番後ろのはしっこというのが何だか心身ともに落ち着くと思っていたけれど実は前で今回は踊りました。
それはそれは大きなプレッシャーと不安と、
だけど最後まで踊れなかった私を、ダンスの咲先生は信じてくれました。カウントもとれないリズム音痴の私に一生懸命あの手この手でしごいて下さいました。
もう感謝しかありません。

まだ仙台公演が残っているので内容は言えないけれど、まだまだ皆さんに伝えたいことがあります。

一先ず、東京公演ありがとうございました!