2019年7月10日水曜日



最近自分でもびっくするのだが口にするものが変わった。これには多分、ペルーが与えたものが大きかったんじゃないかと思う。

元々小さな頃から思いを馳せていた『ナスカの地上絵』が見たいという情熱からペルーに行き、8人乗りのセスナ機で30分ほど飛行しながら見た。

私の胸の高鳴りは『今から出発します』という時がピークだった。
なぜ自分でもそうなってしまったのかは分からないけれど、ずっと見たいと情熱を注いでいたものを実際に見てしまい、その情熱がどこかに行ってしまって、降りた頃には空っぽになってしまった。

そのあと予定には入れていなかったマチュピチュに行ったのだが、こちらの方が実は感動した。
マチュピチュはどこから見ても皆が写真で見るマチュピチュで、どうも建物的に争いが多いというような建物には見えなかった。
標高も高くて回りが断崖絶壁だから、そんなに攻められることも無かったのだろうけど、時を越えても何だか平和な笑い声が聞こえてくるかのようだった。
そっちの方が気になって、帰って1ヶ月間、インカ帝国についての著書を読み漁っていた。
文字のない文明だったためにその時代の記録はほとんどないのだが、後にインカを侵略したスペイン人やインカの末裔の人達が記したものに
『インカは食糧や衣服を公平に分け、病人や老人も安心して暮らせる福祉国家だった』
そして時を越えて研究者は
『アンデスの厳しい自然は到底一人では太刀打ちが出来ず、アンデスの人々にとっての豊かさは財産をたくさん持っているということより、力を借りることのできる人との繋がりをたくさん持つことだった』

皇帝が、働いてくれる人たちに先にたくさんの報酬を与えていたというのも書いてあった。
「与える文化」であり「ミイラ文化」
この2つが私のなかで大きくインカ帝国について刻まれたことだった。
ミイラについてはここでは語りませんが、
そういうことが時を越えてもなんとなく建物から感じるって凄いなと思った。

そんなことから十分に食糧も豊富であったペルーでの市場ではアマゾンからやってきた食材のエネルギーに圧倒され、実際にアマゾンに行った人の話を聞くと、植物や木々が蠢いてるのがわかり、生命力に溢れている。そして自分は地球の一部なんだとアマゾン川で思ったのだそう。

そこから日本に帰って、自分の口にするものやお野菜を見るようになった。奈良のおばあちゃんの家がお米も野菜も育てていたようなところだったから、朝畑からとってきた野菜をお味噌汁に入れて食べる。

長らく東京に住んで、自分から四季を感じないと日常から聞こえてくる音や香りや風の温度で季節がよみとれなくなってしまった。
定期的に奈良から旬の野菜が送られてきた時は、段ボールから光が漏れてるんじゃないかというくらい輝かしい野菜たちが届き、
もう一度今自分の身体が欲しているものに気付こうというか、自ずとペルーに行って気付かされた。

ナスカの地上絵が見たいという小さい頃の夢は、大人になってもう一度自分の生活を、毎日を作るものを思い出させてくれた。

今日は初めて黒豆を買って煮てみた。
こんなに時間がかかるとは思わなくて、でもこの硬い豆の中にはたくさん力があるような気がしてならず、お汁も大切に頂こうと思った。