2015年1月29日木曜日

羽化

あの、明けましておめでとうございますのご挨拶が遅くなってしまい申し訳ないです。
昨日ukaの代表のKihoさんのミレニアムバースデーパーティに行かせて頂いて、とても素晴らしい結婚式に参列した時のような気持ちになりました。Kihoさんとの出会いというか、ukaに携わらせて頂くことになったのはイギリスから帰って来た丁度その日にバタバタとキャスティングに周っていたところ、偶々の立ち寄った場でフォトグラファーの方にお会いしたのがきっかけでした。
撮影10日前に今期のuka creative collectionに携わる皆さんとの顔合わせで、ストーリーと作品に対する思いや意見、ちょうどイギリスで最後の最後絵に対する指示や英語が分からなくて悔しい思いをたくさんしていたこともあって日本語なら言葉拙くとも伝えることが出来ると、皆さんとの話し合いを受け取って、その場に居させて下さった感謝と共に一生懸命させて下さいと心から言っていました。
そこから10日間、それぞれの絵に対して自分の気持ちをどうにかリンクさせられるように色んなものを見て聞いてどうすればそこの気持ちに持って行けるかや、高校時代に仲の良かった友人がもうすぐ赤ちゃんが産まれるとのことで撮影の前日は気持ちを一先ず穏やかにしたくて会いに行ったりもしました。
当日緊張は勿論しましたが、皆さんのことを信じてそしてまた自分を信じることができる現場をukaの皆さんが与えて下さいました。

昨日は改めてKihoさんの人と成りを知って、
知れば知るほどどんどん好きになって
私の人生を大きく変えて下さった格好いい女の人の一人です。

心からの感謝と共にHappy Birthday

uka creative collection 2015
Ph:Makoto Nakagawa Make up:Yuki
Styling:Fusae Hamada Hair :Syoji Noda, Maki Hoshina,Yuko Takahashi

From the planning stages to the production of a single picture, everyone on the team was very attractive, and it was a blessing tone in this collaborative environment. Because I met this team, I learned that my spirit responded to this environment in which everyone contributes and 'create as a team'. Something I will never forget is how the very moment in which something seemed to come alive inside of me coincided with my engagement with uka.
I am extremely grateful. Thank you all.



2014年12月31日水曜日

生え際世界一周

奈良は昨日も今日もとても良い天気でした。近所を散歩しているとこの時期の匂いはそうだこういう匂いだったなと思い出しました。公園のベンチに腰掛けてこんなにも低かったかなと思いながら、Eric Claptonを聞きながら膝にmacを置いています。

2014年私はやっと自分の意志を持てたような気がします。1月からvizaをおろして、銀行を開設し最小限の生活を整えて、違う言語を話して、こんな日が来ると思っていませんでした。自分がモデルとして何をしたら確信に変わるのだろうとそのことを考えながら色んな夢を描いてきましたが、それがいつしか目標になって、現実に近付いて、それでも今まで知らなかった雲の上の世界に頭を突っ込んで大きく息をしてみたら、まだ雲の上には雲がありました。大変なことも色々ありましたがその度に街の人や出会う方々が助けて下さって、世界中のたくさんの優しさを知って、そして新しい世界を見るまでにこれまで育てて下さった方々に心からの感謝が湧き起こりました。何も無かったときを知って下さっている方々がいることや、色んなことを経験することでもっと人間っぽく話が出来るようになって、日本に帰って来てからは、仕事でも色々な話し合いをしながら一つの絵に向かっていくことや、今までとはまた違うスタンスで仕事をしているような気がして、伝えるという作業が前よりも上手くなったような気がします。イギリスで悔しくて泣きながら帰ったことも英語が分からず最後の最後どうしたら良かったのか未だに分からないこともあって、色んな感情が蠢いた日々のお陰で自分ってこうだったんだと新しい自分を毎日知って、それをノートに書き留めていました。京都までの新幹線の中でイギリスにいる間の日誌を見直していると、そうだったなそうだったなと、今は過去のことになっていますが、どうなるか分からない白い1ページに心の中を綴って、毎日があったからこそ真っ黒のノートになっていました。一先ずよくやってくれました。
色々見えていなかったことが少しずつですが行く度に見えて、自分がこれからどうしていきたいのか、そんなことも色んな方々との会話で見つかって、色んな方々の口を通してメッセージとして受け取りました。2015年もまだまだ立ち向かって、そして前よりも人生がもっともっと楽しくなった今をまた一生懸命に生きようと思います。
人生に携わって下さった方々に心からの感謝を。
2015年も思いっきり楽しみます。ありがとうございました。

2014. 12. 31  山村紘未

Louis Vitton Cruise Collection 2015
Cover Feature commissioned and published by Metal magazine
©LENA.C.EMERY



2014年12月17日水曜日

師走の贈り物

最近自転車をゲットして、何年ぶりかに一漕ぎを経験しました。
驚きの進み具合にこの他力は何ぞやと。他力に驚き一漕ぎ二漕ぎ
人生早送りかと思いました。 師走です。

毎年この時期になるとサンタクロースの存在が頭に浮かんで
一丁前に女の子をやっていた時のあるクリスマスに、姫ちゃんのリボン 変身セットが欲しい旨をサンタクロースの方にお願いをして、25日になれば近所の子供達が公園に集って何を貰ったという話をするのですが、私の家に来てくれていたサンタクロースはいつも25日と26日の間にプレゼントを届けに来てくれていました。朝、枕元にプレゼントが置かれているのを発見した時の心が舞い上がる瞬間の気持ちは今もずっと覚えていますが

可愛らしい包装とは裏腹に
姫ちゃんのリボン変身セットとは裏腹に
包みを開けるとめちゃくちゃ渋い抹茶色の箱に
江戸調の文字で『大江戸かるた』と書いてありました。当時近所に多分お名前ビデルホブデさんというノルウェー出身の一家が住んでいらっしゃって、なぜかサンタクロースはノルウェー出身だと思い込んでいて、この江戸調の文字を読むのにとても時間がかかったのではないかと凄く感激 しました。

その渋い抹茶色の箱を開けると
頭かくして尻隠さず
とふんどし姿の男性がこたつに頭を入れて尻だけを出している浮き世調の絵から始まって、お陰様で慣用句を絵で覚えることが出来ました。


私、一昨日撮影をしていた時にフッと頭に過った ことがあって、私の中でいつもファッションは幻って思うことがあって、でもそれが夢に変わった瞬間を味わいました。姫ちゃんのリボン変身セットとか何かと少女だった時のそのサンタクロースに抱く夢の感覚も全部何か思い出したような気がして、ファッションには夢があったって、徐にヘアさんに言っていました。 凄く素敵な日でした。



2014年12月6日土曜日

魔法の宝石




Van Cleef and Arpels × Gaspard Yurkievichさんのショーで京の大覚寺を訪れました春に

この日魔法がかかったような世界にいて、そこに居らっしゃった方々の表情や色々な場面を覚えているのですが、ただ一つこの時に着けることが出来なかったピアスを昨日のショーで初めて着けることができました。

いつも並べられているピアスを眺めていることばかりでしたが、ピアスを開けてから今まで立ち寄ることも無かったところに入ってみたり、世の中にはこんなに美しくて巧妙な物があったのだと、昨日も舞台袖の鏡の前で魔法がかかったみたいだと思っていました。

この京での日のことを頭の中にとても覚えていたので、夢のような世界の他に何か書き留めて居ないかと春の帳を取り出してみると冒頭に

”大覚寺の松は別格” と書いてありました。

その後東寺の帝釈天様の左足の指について、薬師如来像の右手の中指や亀の群れ方についても京での滞在日記が事細かに書かれていて、最後はどことなく割と滅裂では無かったので良しとして

魔法がとける時のこの感覚も、昨夜この春に同じでした。

Van Cleef and Arpels × Gaspard Yurkievich  春



2014年11月17日月曜日

彼女と過ごした4日間

アメリカから友人が帰ってきていました。でもまた流離のように旅立って行ってしまいました。帰ってきている間、彼女と4回会いました。1回1回のその日のことを目を瞑って思い返すと彼女の印象深い表情が4つとも違って、全て彼女の全力を見ました。
自分の気持ちを大事にしていて、それを素直に言葉と表情と体全体で私に伝えてくれて、思い悩んでいることも全てが美しかったです。とても魅力的でした。

私はなかなか人を目の前にすると戸惑ったり固まったり、東京に来てからは只管に自分のやるべきことは何かとそのことばかりで、人とのコミュニケーションを憚っていたのかなと思うほどで、でもイギリスに行って何が一番良かったって、私が人生でまたやってこなかったことや苦手だったことを少し出来るようになったことだと思います。
英語が話せなくて、外国では察するとかそういうことは無いので、何でも伝えないと始まらなくて、唯一向こうでの路上の通信ツールだったテキストと電話しか出来ない小さな携帯が壊れた時もどうにか携帯のshopのお姉さんに何かをワーワー言って、銀行を開設する時も、まあ日本ほど迅速に進まないので、エージェントのアカウントルームのチンさんに一筆下さいと、それを持って銀行の窓口でもワーワー言って、撮影も皆の意見が飛び交う中で最後の最後、核の部分が分からなくてこればっかりは帰ってからワーワー泣いて、何だか夏にも一回エージェントでワーワー泣いた覚えがあるのですが、何の理由だったか覚えておらず、ブッカーに「イギリスに友達が居なくて心配」とかなんとか言われてそんなことじゃねえと思った事だけ覚えています。でもそれら全部の日常も仕事も自分にとって一生懸命で、考える余地もなく感情が伴っていた日々だったなと改めて思います。

そしてそのことを持ち帰って、そう目の前に居る人は人同士で、話せば伝わると
英語ではなかなか伝えられなかったことを日本語だったら言葉拙くともどうにかして伝えようとすれば伝わると、それを学んだお陰でイギリスに行く前とはまた違った形で仕事をしているような気がして、もっと人間っぽい何かを知るようになりました。もう随分と突っ走って、失速しそうになっていましたが、きっと本当はここからが始まりだったんだなと、最近では街で偶然に出会う人達の様子が今後の自分の方向へのメッセージなのかなと思いました。

日本に帰ってその彼女と話して、彼女は私に持っていないものを持っていて、とても私には刺激的で魅力で、一生懸命という言葉がとても似合っていて、そんな素敵な彼女が誕生日の前夜、私に片方のピアスをくれました。今までちょっと貴金属たるものにまだ興味を持て無くて、ずっと開けてこなかったのですが、自分が何かをやったと思えた時に開けた方が少しは開けた時の事を覚えているのかなと思い、日本に帰ってきた時に開けてみました。まだ多分穴は定着して居なくて、貰ったピアスをつけていないのですが、一緒に食事をしている間、4回は箱から開けてピアスを取り出して眺めては直し、取り出しては終うを繰り返しました。彼女の選んでくれたピアスが私の性格のようなものに似ていると言ってくれて、私はそれも嬉しかったのですが、その形が彼女の魅力的な、私には無い部分が表現されていて、二人の間柄というか、彼女から貰ったんだということを一生忘れられないものだと思いました。


2014年10月31日金曜日

時のかさなり

日本に帰ってきて何だかハタハタとしているうちに
なかなか事務所にも行けず、昨日所用で社長にメールをしたところ
その所用の追加メールにて

『ミナ ペルホネンの本が届いています』と

その時ちょうどグルグルと渋谷に居たのですが、何だかとてもお腹が痛かったので今日は帰ろうと思いながらも足が事務所に向いて、本を手に取って

『ミナ ペルホネンの時のかさなり』

社長から3年前にお世話になっていたトレーナーの先生がさっきまでここに居たということを聞いて、
本当3年ぶりかに会う事が出来ました。

先生はこの3年の間海外に行かれていて、お別れの時に先生を浦島太郎とした浦島太郎をとりまく一枚の惜別の絵を描いて送ったのですがそれを大事に持っていて下さって、つい最近、上野の葛飾北斎展に行った時に、北斎先生といったら富嶽三十六景しか私は知らなかったのですが、初期の頃に描いた竜宮城の絵があったんですという話をしながら、どうしてたくさんの御伽話がある中で浦島太郎だけは絵画や物理の分野でも皆がこうも嗜むのでしょうかと何か言ったのですが忘れました。

そんなことやこの2、3年にあった出来事をブラックホールのように聞いて下さって
時を感じて、時を感じなかったです。


著書 ミナ ペルホネンの時のかさなり 皆川 明
                   ©鈴木親


2014年10月2日木曜日

彼女の数学

先日アイルランドに行った。その日地上から雲は空を見せてくれては居なかった。いつも飛行機で窓際に座ったことが無かったけど初めて離陸前から機体が落ち着くまで外を見た。
今の今まで自分が立っていた所から尋常じゃないスピードで走り出して、少し足が離れたと思ったらどんどん離れて、どんどんその土地が小さくなって今まで下からしか見ていなかった雲の世界が近づいてきた。雲と同じ位置に辿り着いた時、周りが一瞬白く見えなくなって凄く揺れて、それを超えるとまた新しい世界が広がっていた。雲の上はこんな世界になっていたんだって思った。新しい世界に辿り着いて、目を見開いて辺りを見回しながら遠くに果てがないことに、来たばかりの美しさを感じて、上を見上げるとまた雲があった。雲の上には雲があった。

少しだけ青春時代の話をしたいと思います。
私は高校で一人の天才に出会った。彼女はバレー部、私はバスケ部、朝練で彼女は壁打ち、私はシューティング、いつも隣で練習をしていた。チャイムと同時に教室に向かい、既に体力を使い切ったからか一限目から七限目まで彼女は起きていることがほとんどなかった。彼女がフルに起きるのは、テストの一週間前くらいになる時だけだった。ある日の数学の時間、隣で物凄い筆圧の音が一時間聞こえ続けた。先生めっちゃ喋ってはるのに書くことないでって思いながら何をやっているのか彼女のノートを覗いてみた。
すると、あの教科書の太い枠で囲まれた数学の公式を自ら導く式をひたすらにノートに解いていた。自分であの偉人達が解いてきた公式を導いていたのだ。今まで自分の中にその発想が無かった。公式って覚えるものだと思っていた。今まで中学という自分の社会があって、初めて高校という社会に移った時に、新しい人達に出会って、発想やら考えにその度度肝を抜かされてきたけど本当に彼女は凄かった。スペシャルだった。やれ問題集、やれ過去問と言っている時にただ純粋にどうして公式を解き続けているのか、どうしてそこに行き着いたのかという16歳の私の疑問に鶏そぼろ弁当を食べながら彼女は答えてくれた。

公式を解くことで、そのプロセスを知れば瞬時に問題作成者の意図が分かるのだと、簡単に言えばそのような感じだとその時そう解釈した。彼女の天才武勇伝はそれだけじゃ無かった。今度は国語の時間。国語の先生はちょっと厳しかったので、いつも授業には少しの緊張が走っていた。しかし一人を除いて。また彼女は寝ていた。案の定当てられて、教科書すら開いていないその感じに、より一層教室に緊張が走り、隣の女子に何ページ?と聞いていた。そのページを開けた2秒後、彼女は鮮やかに答えを言った。
教室の緊張の糸はパックリ開いて、オーーという声と少しの拍手が沸き上がった。
授業を聞いていても分からないような先生の質問にますます彼女の頭の中がどうなっているのか不思議に思った。

そして3年生に上がって部活も引退という時に彼女から相談を受けた。
弁護士になろうと思うねんと。べべべべ弁護士?完全に理系クラスで国語の授業も選択していないクラスだったし、数ⅢCとかも完全にいらんやないかと思った。どうするん?と彼女は先生に相談をしに行った。数ⅢCの授業の時に国語Ⅱの勉強を一人でやってもいいという許可を貰ったようだった。高校生活最後のテスト前に彼女から電話がかかってきた。
数ⅢCの授業中は国語の勉強をしていたから授業を全く聞いていなくて、でも単位としてはテストを受けなければいけないそのことに、それだけで単位を落とさないだろうかと卒業のことを懸念していた。先生も事を知っているし大丈夫だと彼女に言った。
そしてその解答用紙が返ってきた。高校生活最後のテストはやはりスーパーだった。先生がトップの点数だけを言って、そんな高得点採れる人いるんだなと隣の彼女の解答用紙を見たらYouカーイ。何でー。あの電話なんやってん。慰めた自分の解答用紙見たら恥ずかしいわ。どうしてあの難しい数ⅢCを解けたのかと彼女に問うた。二年生までで一通り授業を終えていた事もあって、自分で解いた公式は忘れないんだと言っていた。
そして彼女に最後一問尋ねた。彼女は私に数学を教えてくれた。
それはそれは感激した。初めて数学で感動した。彼女が私に教えてくれた数学はとても美しいと思ったし物凄く彼女の愛を感じた。それが彼女の数学だった。
大数学者の岡潔先生の数学の先にあるのは情緒ですという言葉がこういうことに近いのかなってその時初めてそういうことを思った。彼女が教えてくれたことは本当に大きかった。新しい世界で今まで会った事も無いような凄い人に出会うと、今まで出来るかも知れないと思っていた事、数学国語社会理科体育、色んな可能性を学校は教えてくれてそこから自分の何かを見つけていく、そんなことの繰り返しで、自分はこの分野でのなんとなくの程度を知って、それがまた自分スペシャルを見つけるきっかけにもなったりその分野でクロスパンチを考えたり、たくさんの可能性、方向性がある中で、彼女が人生に与えてくれたことは本当に大きかった。どこに行っても雲の上には雲があるわ。

この長文を書いているうちに小腹がすいてちぎりコーンをチンしました。
ボンっと言ったので電子レンジを見に行ったらレンジの中でコーンが四方八方に散っていました。明日日本にしばし帰るので大家さんにもう一つ懺悔しておこうと思います。冷蔵庫の冷凍室のドアが緩くて気をつけてって言われていたのを気をつけてはいたのですが、ちょっと開いているのを見つけた時があって、直ぐさまに閉めたは良いが次に開けたら冷凍庫が小さな鍾乳洞になっていました。
どうしよう×10くらい思ったが、何を思ってか、私は氷屋さんのように鍾乳洞を削り始めました。でもやはり鍾乳洞かなりのクオリティで即興氷屋の腕じゃ動じなくて、なぜだか分からないけど普段連絡をほとんどとったことがない香港にいる友人にこの鍾乳洞をどうすれば良いか尋ねました。
切れぬなら溶かしてみしょう鍾乳洞
さすが主婦でした。優しくその部位だけを溶かす方法を教えてくれて、あまりよく知らないけど戦国三大武将の一人かと思いました。大家さん本当にI'm sorry.何かあったら電話して。本当にお世話になりました。この上ないくらいお世話になって、よく分からないいきなり日本からやってきた私に、たくさん物事を教えてくれて、この瞬間に大家さんの人生のことを聞かせて貰えたことが本当に素晴らしいと思ったし、人生の交わりに乾杯。とっても嬉しかったです。ありがとうありがとう。いつまでも元気で居てね。
チョコレート、空港で食べます。