2015年5月13日水曜日

エッセイの下で髪を結わく

5月4日は蠍座で満月でした。その日の朝にドタドタドタっと一日の予定が決まったのですが、再会が続き、ゴールデンウィークに相応しい一日になりました。
小学校の時からの友人に8年ぶりくらいに会いました。
8年ぶりに会った第一声が
「ムーチョ(小学生の時からの私のあだ名)、ソックタッチ持ってへん?」
久しぶりに聞いたわソックタッチて。
彼が東京に来てからずっとお世話になっている古着屋さんの店長さんからお買い上げした靴下が緩いらしいです。知らんがな。
最近ニュースで日本最大級の肉横丁という記事を見ていたところでそこに連れて行ってくれました。ここはハンバーグが美味しいてな、ここはな肉の寿司でな、ここは焼き肉やとかなりの常連プリで結局ハンバーグ好きの私達はハンバーグの美味しい席に座りました。
この空白の八年のターニングポイントを互いに話し、小学校の時に何度かお家に遊びに行ったことがあるのですが、お母様がとても印象に残っていて彼の良いところは昔から変わらず、彼自身家族と家族の行事を凄く大事にしていることと根が真面目なこと、目の前の人にストレスを与えることなくずっと喋っていることです。
一番印象に残っていることは授業参観の日、英語の先生が
ピンク色の豚の絵を指さして、英語でこれは?という質問に、元気よくポーク!
と答えていたことです。
「それは豚肉や」と先生のするどい突っ込みが入り、参観に来られていたお母様方の心を鷲掴みにしていました。
そんな愛嬌のある彼が唯一黙る時間が美術の時間でした。美術のセンスに長けていて、高校も大学も美術で行き、そのまま京都で出版の会社に就職したそうですが、喋ることが得意だった彼は新商品の営業を任されたそうです。
その頃東京に行く機会が増え、東京で初めて営業をしに行ったところが最初に登場して下さった古着屋さんだったようです。
その商品はその古着屋さんでは取り扱いは無かったようですがどこの誰かも分からない彼に店長さんはとても親切にその日の夜に食事に連れて行ってくれたそうで、その後もいくつかの営業に回り、関西と東京の違いについて色々感じた彼はトウキョウオモロイと東京の会社に面接を受けることにしたそうです。
昨日も喋っていて思ったのですがオモロイという感覚が全て彼を動かしていて、
本当に人との出会いも今自分が働いていることもプライベートも物凄く楽しんで、その姿を見ていてとても嬉しかったです。

そして昨年VOGUE JAPANの15周年の時に大規模な撮影が渋谷で行われていたのですが
その撮影に参加したと見せてくれました。えぇ!これかーい。むちゃくちゃ良いポジションで写ってるやないかーイ。
エキストラモデル30人から40人のうちの一人としての依頼だったそうですが、お洋服のことは知っていれどあまりファッションについては色々を知らなかった彼は大学時代からの友人のフォトグラファーの彼に尋ねたそうです。
(彼のその時の心境を彼のフェイスブックより抜粋)
「エキストラでもレンズに写っているだけで名誉あることや」という彼の言葉に「面白そうやから行ってみよう」と当日の朝を迎え、一人一人スタイリングが施され、待つこと2時間。
「俺いったいどんな洋服着させられんやろ」とドキドキワクワク。
「ユーーー...オケ!」
??通訳さんが「そのままで大丈夫だとのことです」 彼はスタイリングされなかったそうで、シューティングが始まり「ゴー!と言えば」歩き出すといった内容でそれを6時間。
身長169の俺が写る訳ないがなと思いながらも、遂に転機が。フォトグラファーが
「そこのラッパー風の君、ここに立ちなさい」と。
そしてその半年後、VOGUEを開いた彼は涙が出そうになったそうです。
僕にとっては一生の宝物です。素晴らしい夢のような体験だったと言っていました。
私も彼の素直な感動に感動しました。やっぱりファッションには夢があった。

そして4日の日もソックタッチがいるほどの奇抜な格好をしていた彼ですが撮影でもスタイリストさんが手をつけなかった彼のスタイリングは世界からのフォロワーがたくさんいるそうで、最近になって漸くハッシュタグたる名目を覚えた私に
「ムーチョ、もうそんなん遅いで、今はSnapchatやで」と。もう次の時代を行っているそうです。


右:彼の友人のフォトグラファー。彼の一押しでvogueの撮影に参加することにした
左:彼が東京に来てからずっとお世話になっている古着屋さん「FRANK BLACK]の店長
OSAKA NARA KYOTOて書かれたTシャツ着てるのが言わずもがな
OSAKA 俺の産まれた町
NARA 俺の育った町
KYOTO 俺の遊んだ町

て2回言うてました。