2015年5月7日木曜日

色の付いたベルリン

途中ナマズの閃きを交えながらベルリンは短い滞在でしたが、そこでも素敵な出会いがありました。
兼ねてからベルリンにだけは一度行ってみたいなと思っていて、
育った奈良の町が近くに駅やコンビニや公衆電話も自動販売機も無かったところだったのであまり大きな夢を描くこともなく外に出たいと言う気持も無かったのですが、
小さい時に家の二階で勝手に命名宝探したるものをしていた時に小さな賽銭箱の形をした貯金箱を見つけてブンブン振ったらば大きめのコインの音がしてそのまま振り続けていたらセピア色の写真がヒラリと出てきました。
H少年はこれはどちら様ですかと声にもならない声で二階から叫び尋ねました。
そしたら会ったことがなかった祖父がベルリンを訪れた時の写真だと言う事が分かり、
その時初めて私の脳にベルリンという言葉がインプットされたのでした。
そこからきっと20年は経ったと思うのですが漸く祖父が踏んだベルリンの土地に私も降り立つことが出来て、なんというかとても不思議な気持ちになりました。この前ブログに登場してくれた祖母の旦那様なのですが、私はどうやらそのお祖父さんに何かが似ているらしく、確かにパーツで似ているなと思うところが今大きくなってからもう一度その写真を見返すと思えることでした。
あまり表に出たい願望の無かった私ですが、このような形で何十年も昔、祖父の降り立った土地に導いて頂けてそれはそれは思ってもみないことだったので本当に有り難く思いました。
事務所の社長がいつだったか、モデルは世界を自由に旅出来る仕事なんだからと、大仏様の居座る奈良出身の私にはそんなことは無縁だと思っていたので、でも確かに一つ勇気を出して外に出てみると今日は新しい人に出会って、明日も知らない人に出会って、3日も経てば3日前とは違う自分になっているし、それは自分を知らない土地に動かすと切に感じることでした。
奈良には海も無くて海を渡る世界はとても遠いものだと思っていたけれど手紙も海を越えて手元に届いてくれて本当に不思議です。
  
どこに居ても出会う人には不思議に出会って行けるところには行けて、時が熟せば会えることも行けるようになることもあるみたいです。人生の時間調節たるや色々が不思議です。

 ベルリンの住宅街にて