2020年4月12日日曜日


朝の5時半ごろに起きて習字をやる。
Tokyo kodoさんの朝露というお香を焚きながら。
この香りを嗅ぐと小さな頃に見た景色が思い出される。奈良のお婆ちゃん家の朝方、暗闇と朝の光とが交差する香りと薪を炊いているにおいとがまざって、朝が来たとお手洗いにいく途中に通る縁側からの景色。隣の家は見えないほど遠く、緑いっぱいの山々に囲まれている。

ここ数日、色々考えた。
早く元の生活にというけれど、本当に人と人との距離や、密集する場所など元に戻るのだろうか。
それよりも自分自身が元に戻ることだけを願っているだろうか。以前、1月2月はたくさん撮影をしたと書いたが、表向き全般前向きな気持ちに仕向けて書いている。だけどいつぞやの鹿日記には、撮影が終わった後、ドクタースースーの描く色彩を見る日々も書いている。撮影をすればするほど自分の中が空っぽになった気分で急いで色を入れようとする作業。

誰も気付くことなんて無かろう。自分自身がしっかり気付いて見て見ぬふりをしないようにしなければならない。自分だけが良いと言うのではない。もちろん自分に出来ることはと思ってやってきた。長年色んな方々が作るお洋服を着て、近年本当に変わったのは圧倒的な服のもつ生命の力。私が着る頃のその服は非常にフレッシュで息吹さえ感じる。それは纏った瞬間にも長時間着ていても分かる。自然の恵みなのかなんなのか。着たときは知らないことが数ヵ月後世に発表されて詳細を知ることになる。これからはお洋服を着ることは本質を着ることになると思う。
そのために自分達が変わらないといけないことがある。「元の生活に」の前に繰り返されてきた何かに気付かないといけないことがある。