昨日20代最後という時を迎え、先週くらいから後輩に「あと1週間、やり残したことやりましょ」と言われたのでその時しばらく考えてみたのですが、どう考えても悔いの無い20代だったと思い、「無い」と答えたのですが誕生日の前々日に朝起きて寒くてなかなか布団から出られず、インスタグラムを開げてみたところ、急に『私この人に写真を撮って貰いたい』と、布団から脱出して、一筋の勇気が指に湧いて、お会いしたことも無い方だったのでインスタグラムからダイレクトメッセージをドキドキしながら送りました。数時間後にとても丁寧な文書が返ってきてその次の日にお会いすることになりました。
その誕生日の前日の朝も寒くて布団から出られぬ時間を過ごしていたら、本当に東京に来てからお世話になった人から誕生日の前日ということも知らず電話がかかってきました。なんか蟹や言うて、蟹に釣られて布団から脱出し、その数時間後に4人で蟹のパスタを食べました。この20代の感謝をとにかく蟹のパスタを食べながら伝え、お腹もいっぱいになったところでフォトグラファーさんのところに行って来ました。
お会いしてお話をして、写真も見させて頂いて、撮っていらっしゃる写真から想像通りの方で、20代最後の私をおさめて下さいました。
そしてその後はこのブログにも何度も登場している純さんに恵比寿にある美味しい御料理屋さんに連れて行って頂いて、もう純さんとは何年の付き合いになるのか分かりませんが、私は元々ファッションに本当に興味が無くてお洒落の仕方も自分には何が合うのかどうなのかということがずっと分からずにやってきていて、でも会う度の純さん自身のお洒落や、純さんの助言により、私にファッションの楽しさを教えてくれたのは純さんだと思っていて、最初はお仕事で会うことしか無かったのがいつしか夏の暑い日に担々麺を作ったから一緒に食べようと言って下さった日や、こういう展示会があるから一緒に行ってみようなど、私には兄しか居ないので姉が居たらこんなお姉ちゃんが良いと思う程本当にいつも優しく、さりげなく、ファッションに疎い私に色々な助言をして下さっていたのだなぁと思い、この10年、モデルという軸で動いてきて、何度辞めようと思ったか分からないこの職業に、それでも辞めなかったのはたくさんの方がその度その度に言葉を残して行って下さったからです。20代をこの仕事に捧げて、勿論色々ありましたが、何度振り返っても私の20代は本当に最高のものでした。ファッションを通して、この仕事を通して出会った方々が育てて下さったと思っています。本当に昨日は最後の最後まで有り難うと言える日でした。そして一つとても問いたかったのは、モデルを始めた直後、本当に失礼なことに大きな舞台で明るい照明に向かって歩いたり人前に出ることが異常に苦手だったのもあって、ショーに出たくない(本当に失礼な話ですみません)とストレスがストレスで、泣きじゃくっていた時に母に尻を叩かれ「ステージの上では一人や!」と怒られたことを覚えているのですが、もう絶対これを歩いたら辞めてセルロースの研究に徹すると心に誓い、そうすると20歳の時に、ある一通の手紙が届いたのです。これも何回かお話したことがあるかも知れませんが、10歳の時に小学校の学級会でやっていた「10年後の私へ」という葉書でした。10歳ながらに自分は何を書いたのかと、父や母や兄や祖母の安否に友人の名前、好きな人の名前と、そして一番最後に「20歳の紘未さんは今の私の夢であるモデルさんになっていますか?」と。自分にだからこそ打ち明けられたその夢に、彼女のお陰で私はモデルを辞めずにすみました。どうでしょう。10歳の私が理想としていたモデル像に私はなれているでしょうか。それを彼女に聞きたい。まだまだと言うかもしれませんが、この先もずっとずっとまだまだ何かが続いているような気がして、尻を叩かれた時の母の言葉も今では、ショーは一人ではない瞬間をフッと感じることも出来るようになりました。歩いていて演出家さんの懐の大きさを感じることも、服の力を感じることも、今では何だか時代が変わって来ていて、仲間を感じることもあります。この仕事を続けて本当に良かった。どんな時も立ち上がってまた歩き出してくれた20代の自分に心から感謝をしたいです。ありがとう。
2017年11月11日