2013年11月25日月曜日

外の世界

 
 
 

                                                                                           MARC JACOBS 2012-2013AW
 
 
この写真の中にいる少女は何か大きな大きな扉の前でそれが開くのを待っているのです。
 
何か人生において決意のようなものがあって、その扉の先で何を見、どんなことを経験していくのでしょうか。
 
どんな困難なことがあっても、しっかりと立ち向かって行って欲しいです。

 
 
 
 今シーズンは純心と疑心が入り混じるような野生さがありました。

 
 
満月の日になると
 
                MARC JACOBS 2013-2014AW
 
どこへ何をしにいくつもりなのでしょうか。
 
 
 
MARC JACOBSを着ると物語が浮かんでくるのです。
そしてそれは必ず純心さのある物語なのです。

 





2013年11月20日水曜日

秋のカマキリ



 


昨日久しぶりにカマキリを見ました。
鎌で切るからカマキリだと今まで思っていたのですが、名の由来が「鎌を持つキリギリス」 という説もあることを初めて知りました。
キリギリスのイメージはシルクハットがとても似合って、
あわよくば特技はバイオリンですと言いそうなので鎌は持たなくても良いと思います。

一方カマキリは夏の太陽に向かって鎌を振りかざし、その時に迸る汗とジリジリとした様子からヘルメットがとても似合うんじゃないかと思います。

これは国語の教科書にあったかまきりりゅうじ作 「おれはかまきり」 に影響されたイメージですが実際にはその勇ましい姿のオスをメスが食すことがあるという理科の先生の恐ろしい通達により

どの世界でもメスは強いと聞きますが、カマを持ったメスの強さは妖怪並です。



 


2013年11月12日火曜日

 
 
あの皆さますいません。何も言わずに前のブログを見れなくしてしまい、昨日また急に始めてしまいました。
 
「今自分しか見れない設定になってますねん」とか訳のわからないことを言うてましたが文書がどうしても書けなくなってしまい、ブログをやめてしまっていたのです。
 
実は2013年からあるオーディションがきっかけで演技のレッスンに通っていました。
 
素晴らしい監督と出会い、その監督のレッスンに辿り着くために毎日色んなレッスンを受けて
新たな始まりに、目標にとイキイキとした毎日を過ごしていました。
監督のレッスンの見学に行くのが楽しみで今日はどんな言葉を聞かせて下さるのだろう、どんなことが知れるだろうと
そして監督はいつも生徒をやる気にさせてくれました。
 
 
「紘未!待ってるぞ!早く上がってこい!」 
 
 
しかしその数日後
二度と監督のレッスンを受けることが出来なくなりました。
 
 
 
その日から数ヶ月後、私は違う場所から帰ってきて、どうしても監督に感謝の気持ちを述べたくて知合いの方の協力もあって監督の奥様にお手紙を書かせて頂きました。私に素敵な目標と毎日を与えて下さった半年間と鍛えて下さった半年間、たった半年間でしたが監督と出会っているのといないのとでは私の中は大きく違っていました。私に自信を下さり、たくさん呼び起して下さり、過去への精算、未来への輝き、また先生と呼べる方々との出会い、与えて下さった全てが本当に有り難く、私の背中を押して下さり見守って下さり、勇気を下さり。
溢れ出る思いをそのままにお手紙にしました。
 
そして昨日私の誕生日なぞ知るはずもない奥さまからお誕生日のメッセージと共にお手紙が届いていました。
私は手紙を握りしめながら心の中の何かが解けたようにたくさんの涙を流しました。
 
また背中を押してくださいました。
 
 
昨日は迷うはずの無い近所の道でも迷って、雨が降りそうだからと急いでいたら案の定沢山の雨に打たれました。
知らないビルの駐車場で雨宿りをさせて貰っていたらビルの中から作業着を着たおじちゃんが
「これ返さなくて良いから」 と傘をくれました。
 
今日は帰って郵便受けを開けたらば事務所の社長とマネージャーから誕生日のお手紙が届いていました。溢れんばかりのメッセージにサイズ超えで40円払いましたが、私はいつも道に迷った時、出会って下さる方々が導いて下さり、中学の友達も高校の友達も大学の友達もモデルの友達も恩師も
教えを請うて下さり、昨日書いた四面墓のご先祖様もいつも見守ってくださり、監督も。
 
奥さま本当にありがとうございました。手紙を何度読み返しても今は涙が溢れて止まりませんが、この涙はとても素晴らしいです。
 
 
 
 
 


2013年11月11日月曜日

事の始まり



蝉の鳴き声が降り頻るや夏の日に大きな金のやかんを片手に

ランニングのおじいとせっせと山に登りました。

山の頂に着けば、小さな(スキーのモーグルのような)円墳が広がるその光景は

さぞ幼少の私には蝉の鳴き声など届かぬような恐ろしさがあり

その数々の円墳の麓に立って おじいは言いました。

右はおじいのおじいのおとう
後ろはおじいのおじいのおじい
左はおじいのおとうのおかあ

どこに立っても前も後ろも右も左もおじいとおばあとおとうとおかあの連続でした。

古来中国の漢文に楚の国が山の向うから聞こえる楚の歌を聞いて
対戦国漢が勝利の祝杯を挙げているのだと思い、自分たちは負けてしまったのだと 周囲は皆敵であるという状況を示す「四面楚歌」という熟語がありますが


私は幼少時奈良の山奥でおじいやおばあやおじいのそのまたおじいの間に立って
自分がここに立っていられるのはこの方々のお陰様なのだと

四面は墓でした。


本当はこの日が過ぎてから改めようと思うたのですが
自分がここに立って居られることに(今は座ってますが)感謝をしてから物事を始めようと思います。

これからまた どうぞよろしくお願いします。
 

 
2013/11/11