2014年12月31日水曜日

生え際世界一周

奈良は昨日も今日もとても良い天気でした。近所を散歩しているとこの時期の匂いはそうだこういう匂いだったなと思い出しました。公園のベンチに腰掛けてこんなにも低かったかなと思いながら、Eric Claptonを聞きながら膝にmacを置いています。

2014年私はやっと自分の意志を持てたような気がします。1月からvizaをおろして、銀行を開設し最小限の生活を整えて、違う言語を話して、こんな日が来ると思っていませんでした。自分がモデルとして何をしたら確信に変わるのだろうとそのことを考えながら色んな夢を描いてきましたが、それがいつしか目標になって、現実に近付いて、それでも今まで知らなかった雲の上の世界に頭を突っ込んで大きく息をしてみたら、まだ雲の上には雲がありました。大変なことも色々ありましたがその度に街の人や出会う方々が助けて下さって、世界中のたくさんの優しさを知って、そして新しい世界を見るまでにこれまで育てて下さった方々に心からの感謝が湧き起こりました。何も無かったときを知って下さっている方々がいることや、色んなことを経験することでもっと人間っぽく話が出来るようになって、日本に帰って来てからは、仕事でも色々な話し合いをしながら一つの絵に向かっていくことや、今までとはまた違うスタンスで仕事をしているような気がして、伝えるという作業が前よりも上手くなったような気がします。イギリスで悔しくて泣きながら帰ったことも英語が分からず最後の最後どうしたら良かったのか未だに分からないこともあって、色んな感情が蠢いた日々のお陰で自分ってこうだったんだと新しい自分を毎日知って、それをノートに書き留めていました。京都までの新幹線の中でイギリスにいる間の日誌を見直していると、そうだったなそうだったなと、今は過去のことになっていますが、どうなるか分からない白い1ページに心の中を綴って、毎日があったからこそ真っ黒のノートになっていました。一先ずよくやってくれました。
色々見えていなかったことが少しずつですが行く度に見えて、自分がこれからどうしていきたいのか、そんなことも色んな方々との会話で見つかって、色んな方々の口を通してメッセージとして受け取りました。2015年もまだまだ立ち向かって、そして前よりも人生がもっともっと楽しくなった今をまた一生懸命に生きようと思います。
人生に携わって下さった方々に心からの感謝を。
2015年も思いっきり楽しみます。ありがとうございました。

2014. 12. 31  山村紘未

Louis Vitton Cruise Collection 2015
Cover Feature commissioned and published by Metal magazine
©LENA.C.EMERY



2014年12月17日水曜日

師走の贈り物

最近自転車をゲットして、何年ぶりかに一漕ぎを経験しました。
驚きの進み具合にこの他力は何ぞやと。他力に驚き一漕ぎ二漕ぎ
人生早送りかと思いました。 師走です。

毎年この時期になるとサンタクロースの存在が頭に浮かんで
一丁前に女の子をやっていた時のあるクリスマスに、姫ちゃんのリボン 変身セットが欲しい旨をサンタクロースの方にお願いをして、25日になれば近所の子供達が公園に集って何を貰ったという話をするのですが、私の家に来てくれていたサンタクロースはいつも25日と26日の間にプレゼントを届けに来てくれていました。朝、枕元にプレゼントが置かれているのを発見した時の心が舞い上がる瞬間の気持ちは今もずっと覚えていますが

可愛らしい包装とは裏腹に
姫ちゃんのリボン変身セットとは裏腹に
包みを開けるとめちゃくちゃ渋い抹茶色の箱に
江戸調の文字で『大江戸かるた』と書いてありました。当時近所に多分お名前ビデルホブデさんというノルウェー出身の一家が住んでいらっしゃって、なぜかサンタクロースはノルウェー出身だと思い込んでいて、この江戸調の文字を読むのにとても時間がかかったのではないかと凄く感激 しました。

その渋い抹茶色の箱を開けると
頭かくして尻隠さず
とふんどし姿の男性がこたつに頭を入れて尻だけを出している浮き世調の絵から始まって、お陰様で慣用句を絵で覚えることが出来ました。


私、一昨日撮影をしていた時にフッと頭に過った ことがあって、私の中でいつもファッションは幻って思うことがあって、でもそれが夢に変わった瞬間を味わいました。姫ちゃんのリボン変身セットとか何かと少女だった時のそのサンタクロースに抱く夢の感覚も全部何か思い出したような気がして、ファッションには夢があったって、徐にヘアさんに言っていました。 凄く素敵な日でした。



2014年12月6日土曜日

魔法の宝石




Van Cleef and Arpels × Gaspard Yurkievichさんのショーで京の大覚寺を訪れました春に

この日魔法がかかったような世界にいて、そこに居らっしゃった方々の表情や色々な場面を覚えているのですが、ただ一つこの時に着けることが出来なかったピアスを昨日のショーで初めて着けることができました。

いつも並べられているピアスを眺めていることばかりでしたが、ピアスを開けてから今まで立ち寄ることも無かったところに入ってみたり、世の中にはこんなに美しくて巧妙な物があったのだと、昨日も舞台袖の鏡の前で魔法がかかったみたいだと思っていました。

この京での日のことを頭の中にとても覚えていたので、夢のような世界の他に何か書き留めて居ないかと春の帳を取り出してみると冒頭に

”大覚寺の松は別格” と書いてありました。

その後東寺の帝釈天様の左足の指について、薬師如来像の右手の中指や亀の群れ方についても京での滞在日記が事細かに書かれていて、最後はどことなく割と滅裂では無かったので良しとして

魔法がとける時のこの感覚も、昨夜この春に同じでした。

Van Cleef and Arpels × Gaspard Yurkievich  春



2014年11月17日月曜日

彼女と過ごした4日間

アメリカから友人が帰ってきていました。でもまた流離のように旅立って行ってしまいました。帰ってきている間、彼女と4回会いました。1回1回のその日のことを目を瞑って思い返すと彼女の印象深い表情が4つとも違って、全て彼女の全力を見ました。
自分の気持ちを大事にしていて、それを素直に言葉と表情と体全体で私に伝えてくれて、思い悩んでいることも全てが美しかったです。とても魅力的でした。

私はなかなか人を目の前にすると戸惑ったり固まったり、東京に来てからは只管に自分のやるべきことは何かとそのことばかりで、人とのコミュニケーションを憚っていたのかなと思うほどで、でもイギリスに行って何が一番良かったって、私が人生でまたやってこなかったことや苦手だったことを少し出来るようになったことだと思います。
英語が話せなくて、外国では察するとかそういうことは無いので、何でも伝えないと始まらなくて、唯一向こうでの路上の通信ツールだったテキストと電話しか出来ない小さな携帯が壊れた時もどうにか携帯のshopのお姉さんに何かをワーワー言って、銀行を開設する時も、まあ日本ほど迅速に進まないので、エージェントのアカウントルームのチンさんに一筆下さいと、それを持って銀行の窓口でもワーワー言って、撮影も皆の意見が飛び交う中で最後の最後、核の部分が分からなくてこればっかりは帰ってからワーワー泣いて、何だか夏にも一回エージェントでワーワー泣いた覚えがあるのですが、何の理由だったか覚えておらず、ブッカーに「イギリスに友達が居なくて心配」とかなんとか言われてそんなことじゃねえと思った事だけ覚えています。でもそれら全部の日常も仕事も自分にとって一生懸命で、考える余地もなく感情が伴っていた日々だったなと改めて思います。

そしてそのことを持ち帰って、そう目の前に居る人は人同士で、話せば伝わると
英語ではなかなか伝えられなかったことを日本語だったら言葉拙くともどうにかして伝えようとすれば伝わると、それを学んだお陰でイギリスに行く前とはまた違った形で仕事をしているような気がして、もっと人間っぽい何かを知るようになりました。もう随分と突っ走って、失速しそうになっていましたが、きっと本当はここからが始まりだったんだなと、最近では街で偶然に出会う人達の様子が今後の自分の方向へのメッセージなのかなと思いました。

日本に帰ってその彼女と話して、彼女は私に持っていないものを持っていて、とても私には刺激的で魅力で、一生懸命という言葉がとても似合っていて、そんな素敵な彼女が誕生日の前夜、私に片方のピアスをくれました。今までちょっと貴金属たるものにまだ興味を持て無くて、ずっと開けてこなかったのですが、自分が何かをやったと思えた時に開けた方が少しは開けた時の事を覚えているのかなと思い、日本に帰ってきた時に開けてみました。まだ多分穴は定着して居なくて、貰ったピアスをつけていないのですが、一緒に食事をしている間、4回は箱から開けてピアスを取り出して眺めては直し、取り出しては終うを繰り返しました。彼女の選んでくれたピアスが私の性格のようなものに似ていると言ってくれて、私はそれも嬉しかったのですが、その形が彼女の魅力的な、私には無い部分が表現されていて、二人の間柄というか、彼女から貰ったんだということを一生忘れられないものだと思いました。


2014年10月31日金曜日

時のかさなり

日本に帰ってきて何だかハタハタとしているうちに
なかなか事務所にも行けず、昨日所用で社長にメールをしたところ
その所用の追加メールにて

『ミナ ペルホネンの本が届いています』と

その時ちょうどグルグルと渋谷に居たのですが、何だかとてもお腹が痛かったので今日は帰ろうと思いながらも足が事務所に向いて、本を手に取って

『ミナ ペルホネンの時のかさなり』

社長から3年前にお世話になっていたトレーナーの先生がさっきまでここに居たということを聞いて、
本当3年ぶりかに会う事が出来ました。

先生はこの3年の間海外に行かれていて、お別れの時に先生を浦島太郎とした浦島太郎をとりまく一枚の惜別の絵を描いて送ったのですがそれを大事に持っていて下さって、つい最近、上野の葛飾北斎展に行った時に、北斎先生といったら富嶽三十六景しか私は知らなかったのですが、初期の頃に描いた竜宮城の絵があったんですという話をしながら、どうしてたくさんの御伽話がある中で浦島太郎だけは絵画や物理の分野でも皆がこうも嗜むのでしょうかと何か言ったのですが忘れました。

そんなことやこの2、3年にあった出来事をブラックホールのように聞いて下さって
時を感じて、時を感じなかったです。


著書 ミナ ペルホネンの時のかさなり 皆川 明
                   ©鈴木親


2014年10月2日木曜日

彼女の数学

先日アイルランドに行った。その日地上から雲は空を見せてくれては居なかった。いつも飛行機で窓際に座ったことが無かったけど初めて離陸前から機体が落ち着くまで外を見た。
今の今まで自分が立っていた所から尋常じゃないスピードで走り出して、少し足が離れたと思ったらどんどん離れて、どんどんその土地が小さくなって今まで下からしか見ていなかった雲の世界が近づいてきた。雲と同じ位置に辿り着いた時、周りが一瞬白く見えなくなって凄く揺れて、それを超えるとまた新しい世界が広がっていた。雲の上はこんな世界になっていたんだって思った。新しい世界に辿り着いて、目を見開いて辺りを見回しながら遠くに果てがないことに、来たばかりの美しさを感じて、上を見上げるとまた雲があった。雲の上には雲があった。

少しだけ青春時代の話をしたいと思います。
私は高校で一人の天才に出会った。彼女はバレー部、私はバスケ部、朝練で彼女は壁打ち、私はシューティング、いつも隣で練習をしていた。チャイムと同時に教室に向かい、既に体力を使い切ったからか一限目から七限目まで彼女は起きていることがほとんどなかった。彼女がフルに起きるのは、テストの一週間前くらいになる時だけだった。ある日の数学の時間、隣で物凄い筆圧の音が一時間聞こえ続けた。先生めっちゃ喋ってはるのに書くことないでって思いながら何をやっているのか彼女のノートを覗いてみた。
すると、あの教科書の太い枠で囲まれた数学の公式を自ら導く式をひたすらにノートに解いていた。自分であの偉人達が解いてきた公式を導いていたのだ。今まで自分の中にその発想が無かった。公式って覚えるものだと思っていた。今まで中学という自分の社会があって、初めて高校という社会に移った時に、新しい人達に出会って、発想やら考えにその度度肝を抜かされてきたけど本当に彼女は凄かった。スペシャルだった。やれ問題集、やれ過去問と言っている時にただ純粋にどうして公式を解き続けているのか、どうしてそこに行き着いたのかという16歳の私の疑問に鶏そぼろ弁当を食べながら彼女は答えてくれた。

公式を解くことで、そのプロセスを知れば瞬時に問題作成者の意図が分かるのだと、簡単に言えばそのような感じだとその時そう解釈した。彼女の天才武勇伝はそれだけじゃ無かった。今度は国語の時間。国語の先生はちょっと厳しかったので、いつも授業には少しの緊張が走っていた。しかし一人を除いて。また彼女は寝ていた。案の定当てられて、教科書すら開いていないその感じに、より一層教室に緊張が走り、隣の女子に何ページ?と聞いていた。そのページを開けた2秒後、彼女は鮮やかに答えを言った。
教室の緊張の糸はパックリ開いて、オーーという声と少しの拍手が沸き上がった。
授業を聞いていても分からないような先生の質問にますます彼女の頭の中がどうなっているのか不思議に思った。

そして3年生に上がって部活も引退という時に彼女から相談を受けた。
弁護士になろうと思うねんと。べべべべ弁護士?完全に理系クラスで国語の授業も選択していないクラスだったし、数ⅢCとかも完全にいらんやないかと思った。どうするん?と彼女は先生に相談をしに行った。数ⅢCの授業の時に国語Ⅱの勉強を一人でやってもいいという許可を貰ったようだった。高校生活最後のテスト前に彼女から電話がかかってきた。
数ⅢCの授業中は国語の勉強をしていたから授業を全く聞いていなくて、でも単位としてはテストを受けなければいけないそのことに、それだけで単位を落とさないだろうかと卒業のことを懸念していた。先生も事を知っているし大丈夫だと彼女に言った。
そしてその解答用紙が返ってきた。高校生活最後のテストはやはりスーパーだった。先生がトップの点数だけを言って、そんな高得点採れる人いるんだなと隣の彼女の解答用紙を見たらYouカーイ。何でー。あの電話なんやってん。慰めた自分の解答用紙見たら恥ずかしいわ。どうしてあの難しい数ⅢCを解けたのかと彼女に問うた。二年生までで一通り授業を終えていた事もあって、自分で解いた公式は忘れないんだと言っていた。
そして彼女に最後一問尋ねた。彼女は私に数学を教えてくれた。
それはそれは感激した。初めて数学で感動した。彼女が私に教えてくれた数学はとても美しいと思ったし物凄く彼女の愛を感じた。それが彼女の数学だった。
大数学者の岡潔先生の数学の先にあるのは情緒ですという言葉がこういうことに近いのかなってその時初めてそういうことを思った。彼女が教えてくれたことは本当に大きかった。新しい世界で今まで会った事も無いような凄い人に出会うと、今まで出来るかも知れないと思っていた事、数学国語社会理科体育、色んな可能性を学校は教えてくれてそこから自分の何かを見つけていく、そんなことの繰り返しで、自分はこの分野でのなんとなくの程度を知って、それがまた自分スペシャルを見つけるきっかけにもなったりその分野でクロスパンチを考えたり、たくさんの可能性、方向性がある中で、彼女が人生に与えてくれたことは本当に大きかった。どこに行っても雲の上には雲があるわ。

この長文を書いているうちに小腹がすいてちぎりコーンをチンしました。
ボンっと言ったので電子レンジを見に行ったらレンジの中でコーンが四方八方に散っていました。明日日本にしばし帰るので大家さんにもう一つ懺悔しておこうと思います。冷蔵庫の冷凍室のドアが緩くて気をつけてって言われていたのを気をつけてはいたのですが、ちょっと開いているのを見つけた時があって、直ぐさまに閉めたは良いが次に開けたら冷凍庫が小さな鍾乳洞になっていました。
どうしよう×10くらい思ったが、何を思ってか、私は氷屋さんのように鍾乳洞を削り始めました。でもやはり鍾乳洞かなりのクオリティで即興氷屋の腕じゃ動じなくて、なぜだか分からないけど普段連絡をほとんどとったことがない香港にいる友人にこの鍾乳洞をどうすれば良いか尋ねました。
切れぬなら溶かしてみしょう鍾乳洞
さすが主婦でした。優しくその部位だけを溶かす方法を教えてくれて、あまりよく知らないけど戦国三大武将の一人かと思いました。大家さん本当にI'm sorry.何かあったら電話して。本当にお世話になりました。この上ないくらいお世話になって、よく分からないいきなり日本からやってきた私に、たくさん物事を教えてくれて、この瞬間に大家さんの人生のことを聞かせて貰えたことが本当に素晴らしいと思ったし、人生の交わりに乾杯。とっても嬉しかったです。ありがとうありがとう。いつまでも元気で居てね。
チョコレート、空港で食べます。




2014年9月18日木曜日

重ねる

いつもショーの写真を見ると本当にこれ自分なのかと何かマリオのキノコでも食べていたんじゃないかと思うほどです。でも毎シーズン毎シーズン見る景色や感動する事柄が変わって、昨年ファーストシーズンを迎えた時は本当に何が何だか分からないけどとりあえずやってみようと、どんなことも最初は興味や好奇心から始まって、初めてその時、私は皆がこんなことを経験して表舞台に立っていたのだと知りました。

そして次のシーズンは、雑誌でしか見たことが無かったトップモデルの人達を間近で見て、そのうち一人の方は何回見ても見てしまうほど、見ていてこちらが美しい音楽でも聞いているような感覚になる人っているのだと大きな衝撃を受けました。
Johnのショーでは彼のドレスを纏った時にドレスに彼の心が宿っていると感じて、それはとても優しくて繊細でそれを着た日はもう他の服は着ることは出来なかったです。それほどに繊細な心を持っていて、ショーが終わった後にJohnのスタイリストさんとJohnにあなたはJohn Rochaにとって最高のモデルだと言って貰えたことが心から嬉しくて、言い方が合っているか分かりませんが一生懸命着て良かったとその時思いました。

今シーズンはAmandaのショーで体が合うように前日サイズを縫い直してくれて、ショーが終わった後の彼女のハグと言葉は目からキラキラしたものが出るかと思いました。彼女の服が私をそのようにしてくれるのであって、服が持っている魔法は本当に不思議だし、それに合わせたヘアメイクさん達のお仕事も本当に凄いです。大変なことも色々あるけど、というかここだけの話なんでやーーーと思うことばっかりでもう二度とっていつも思うけど全てここでしか知り得なかったことです。その中での人々の優しさが物凄く身に染みて、ある朝起きたら大家さんが今日も頑張れというメモ書きとお茶碗一杯のご飯を置いていてくれて、それがロンドンで食べた一番美味しい美味しい塩味のご飯でした。何があっても必ず大きな喜びがあって、本当全てが私にとって一生の財産です。

ショーだけでなく、撮影でスーパーモデルにお会いしたときは本当にスーパーモデルって何もかもがスーパーなんだって、巨匠からしかお話で聞いたことが無かったけど全部本当だ!って思いました。シューティングを近くで出来るだけ見させて貰って、それはまたこれからの自分にとっての大きな勉強になって、終わった後に一緒に撮ってもらった写真は一生の宝物です。

UNIQLO×INES DE LA FRESSANGE  

2014年9月17日水曜日

紡ぐ



ロンドンのファッションウィークが無事に終わりました。
私、本当に来て良かった。夏に3日間だけ奈良に帰った時に夜中に祖母が昔話をしてくれたのですが、86年生きてきてその分の毎日があるのに覚えていることは特別なことしか覚えていないって、私もここで経験したことを孫に話してあげられるくらい私の人生で忘れられない経験をさせて貰ったと思っています。

奈良から東京へ、東京に来た時に未来にでも来たのかと思うくらいのカルチャーショックと、いつの間にかまた世界が広がってロンドンへ、色んな意味で小学校や中学校や高校や大学や自分の中での社会や世界の広がりにたくさんの可能性や方向性を見て、選択して決断して、そんなことの繰り返しだったと思うけど、辿り着いた今のお陰で全て起きてきたことが今の自分にとって素晴らしかったんだとそう思います。

撮影でずっと長かった髪を切って、もう自分の顔を髪で隠すことも無くなって、モデルという仕事はどれだけ自分に自信を持たせてくれたか分かりません。色んな女性にしてくれて、時には人じゃないような感じも、出会ったデザイナーさんのことも一生忘れないし、服を着ることの難しさと、ドレスと心から対話する喜びや、そしてデザイナーさん達から頂いた言葉は一生一生忘れないです。チームで撮影したことも一緒にいる時間の中での一瞬を切り取っている一枚だけれど時間と空間がちゃんとあって、写真を見れば全部その時の雰囲気や目に映っていたことがいつでも思い出せるし、本当に最高でした。

こんな世界があることと、それを見せて貰えたことに感謝です。







2014年9月6日土曜日

夏の宿題

イギリスに無事舞い戻ってきました。
8月の最後の一週はこれでもかというくらい毎日色んなことが起きて
8月30日になると、ああ8月は30日までじゃなくて31日まであって良かったなと、一気に夏の宿題を終わらせるというような学生の時と何ちゃ変わらない駆け込み一週間を過ごしたように思います。
でも今年の夏はきっと絵日記に書けば1ページ1ページとてもダイナミックに色鮮やかに、暑くてたまらないとしか思ってこなかった夏を初めて心から楽しむことができました。生きてきた中で一番夏を愛した気がします。そして何だか少し大人になったような気もします。

きっとまた日本に帰る頃には見える色が変わっているのだなと思うとそれもどう映るのかとても楽しみです。このイギリス滞在があるお陰でこんなにも一回一回日本の様々を感じることが出来るのは本当に有り難いことです。

それと同時にいつもイギリスに戻る度、緊張とドキドキが止まらなかったのも少しは緩和されて、さっきは帰りにインドの料理の試食のようなものを駅の広場でやっていて、3種類の米を試食してはインドの人にあれやこれやと、この米の味は甘いだのこれが好きだのちょっと一丁前に意見を言っている自分に驚きました。
その前はエージェントのブッカーがわざわざジョークを言ってくれるのに対し、別のブッカーのジョークも飛んで、本当聞いていた通りジョークの大好きな人達なので、最初は一回一回驚いていたのも少しはそのジョークに参戦出来るようになっていました。
そしてやっぱり思うのはこの国の何なのか分からないこの一見カオスに見える景色がどうも何かカオスではなくて腑に落ちる何かがあるなと思うこの感じは本当ロンドンの凄さだなと思います。「何か元々持ってる何かが何か知ってるこの人たち」っていうそんな感じです。イギリスにいると街も人も凄く写真を撮りたくなることばかりで、皆自分に自由で、それぞれの個性が際立っているのか凄く見ていて面白くて皆さん何だかとても素直です。この国に来るとこの土地が持っているエネルギーなのか、考える事柄や頭に浮かぶ事柄が全然違って、また自分の本質の方に立ち返ることが出来るような、何だかそんな感じがしてたまらないのと、この国から凄いデザイナーやアーティストが生まれるという理由も何だか分からなくない気がします。
それにしても本当にいつもの滞在で、毎回何かがあって、前回も自分にとってのミッションを一つだけクリアした気がするので今また彼らに会えて、たくさんのハグに夏のお話に、この人達の考えていることがビジネスとまたもう一つの事柄に、日本人以外を知らなかった私にとっていつまでも感謝に値することだなと思います。

またきっと色んなことが待ち受けていると思いますが、少しずつ少しずつ何かに向かっていると思うので毎日を迎えることでそれを確かめていこうと思います。

日本の夏よありがとう。



2014年8月20日水曜日

夏期講習

 
この度も日本に帰ってきて日本の夏というものを体いっぱいに感じようと
また東京の街を歩いて歩いて歩き回っています。
それにしても今日はこの数日間で一番暑かったです。
 
早速36枚撮りのフィルムカメラを現像に出して
何にシャッターを切ったのか一枚一枚後ろに送って行くと
少しでも日本に帰ってきてよかったと本当にそう思いました。
 
行ったり来たりする度、課題をその度に持ち帰って、色んなことを確かめながら過ごしていると日本でもイギリスでも街で偶然に会う人や目の前に立っている人達との新しい会話と世界が始まって、それを見ていると少しは自分の中の考えている事柄が変わったのかなと、なんとかやっています。
 
いつもファッションウィークでしか訪れていなかったイギリスの街も
この時期に改めて見てみると何だかジャクソンポロックの絵画を見ているようでした。
何から始めればいいのか、でも誰か一人に会って、少し話をすれば、数少ないワードを頭の中に入れて、また歩き出すと、また一人誰かに出会って、翌週にはそのことが起こっていたり、その人物に会ったり、こればっかりは自動的にやってきてくれる明日に自分も少しは携わっても良いのだと思うことが出来ました。
 
毎日色んなところに営業に行って、色んな人に会って、少しずつ少しずつ英語を話す自分が居て、前よりかはその場に長く滞在できるようになりました。いつぞやのブログにも書いていましたが、撮影に対してもっと楽しんで、レンズを通してフォトグラファーと本気で対話すること、
今回何が嬉しかったかというと、ブッカーと3人でランチに行って、家族の話や日常の話、仕事以外の他愛も無い会話を一緒にしたことが本当に嬉しかったです。
 
今は日本で久しぶりに受験生に戻った気分で、涼しい図書館で英語の書物を積み上げています。他にもまた色んなミッションを日本で与えて貰ったのでそれをまた向こうに持ち帰って、とりあえず出来ることから始めて、大事なことを飛ばさないようにこれらが人生の財産になるようにやってみようと思います。
 
 
 
よく言ってくれました。3か月前の私ならきっと言えていないと思います。
 
 
 
 


2014年8月18日月曜日

ニッポンノナツ

 
少しだけ日本に帰ってきています。
 
帰ってきて早々に電車に乗っていると、やっぱり日本人は元々の持っている根本が優しいのかなと何というのでしょうか、特に何かを喋っているのを見たとかでは無くて、あの箱の中に静かに座っているとそのような雰囲気を感じて、内容を理解せずに話声だけを聞くと音やリズムやテンポ、日本に行ったことのある外国の方が日本人の話し方はとてもプリティと言っていたのが少し分るような気がしました。とても優しいみたいです。
 
電車に乗ると車両の中の人々の様子やシートの固さや質、電車の中で何を禁じているのかその国の人の気質のようなものが少し分かるような気がしてとても面白いです。
 
イギリスはこの季節もなかなかの寒さで今日本に帰ってきて初めて日本の夏は素晴らしいと感じることが出来ました。
イギリスに10年住んでいる日本の方に聞いてみるとイギリスの夏が1週間で終わってしまった年もあれば、後から思い返せばあれが夏だったということがあったと言っていたので
こんなに均等に四季があって、そしてちゃんとそれぞれの季節が教えてくれることや、人々が楽しむ醍醐味を知っていることが本当に素晴らしいなと思いました。
 
今は今までにやったことが無いことをやってみようと日本の夏を毎日とても楽しみに過ごしています。首から36枚撮りのフィルムカメラをぶら下げて、日本の夏を撮るという題目で連日シャッターを切っていたら昨日最後の一枚を撮り終えました。最後の一枚はずっと押し惜しみをしていたのですが最高の一枚が撮れたように思います。シャッターを切り終えた瞬間はエルガーの威風堂々が頭に流れるほど、夏の青空に充足の二文字でした。
 
まだ少しイギリスに居た時の記憶が浦島太郎のような状態なので随時色んな事と照らし合わせながら言葉が出てきた時にまたここに登場したいと思います。
 
 
日本の夏は素晴らしいです。


 
 

2014年7月28日月曜日

2014年下半期の始まりに

 
このブログの初頭でも少し述べたかもしれないのですが
演技のレッスンに通っていた時に一番最初特に習ったのが’’自分らしく’’自分でいること’’についてで、しばし暮らしていると気づかないうちに自分を見失うことがあって
でも海外にいると日常で聞こえてくる言葉が少なくて、伝えたいこともなかなか言葉にならないけど逆をいうと本当に伝えたい言葉しか出てこなくて非常にシンプルになったような気がしますといった傍から句読点なしに長々打ち込んでいるこの初文恐ろしや。
 
何年か前の話になるけれど、一つこれも変な例かもしれませんが
自分の中では大きな転機だったんじゃないかと思う膝の靭帯の手術をして入院をしていた時に、お見舞いに来てくれた友人たちとの久しぶりの再会に、限らずたくさんの感謝をする時間も与えて貰って、その怪我は文字通りいっぱい気付かないといけないことがあったからだと思いました。
 
少し同様ではないかもしれませんが、今このロンドンに居るを知ってか知らぬかどうしてかとても久しぶりな知人や友人から連絡があったり、今は国を超えてもメッセージや会話が簡単にできる時代だから、とても遠くにいるのに普段よりも近い話が出来て再びに、ここに居ることへ友人へと度々のこの上ない感謝の気持ちが湧き起こりました。
 
お正月にダンゴ虫のエクササイズを披露してくれた兄もそうで
兄とは本当不思議なくらい性格が似ていなくて、共に大きくなるにつれて一緒に遊ぶということも、会話というよりかはひたすらラジオのように喋る兄を見る時代に差し掛かってしまっていたのですが、そんな兄からの二度の国際電話不在着信があって、なにごとかと時差もあって翌朝のメッセージで
初めて兄は妹をそんな風に見ていたのかと知りました。
 
きっとここに居ることで色んな人達との会話がもっともっと自分の内側の部分で話をしていることなんだなと自分の本質の方に立ち返ってきているみたいです。またここから積み上げていく作業を2014年の下半期、折しも新月の今日から大切なことをとばさないようにここに記して
最後はただただ逞しくなってくれていることを願うばかりです。

 

 
 
 
 
 

2014年7月16日水曜日

ワールドカップ

遂にワールドカップが終わってしまいました。
今回のワールドカップからたくさんのことを与えて貰いました。
まずは本当に失礼ながらちゃんとサッカーを見たのは実は今回が初めてで
見始めはまだあまりルールが分からなかったのですが
決勝のアルゼンチン対ドイツ戦では
オフサイド!オフサイドオフサイド!と言えるようになっていました。

そしてお陰様で来て間もなくのロンドンで友達がたくさんできました。
きっと日本に居たら今まで通りサッカーを見ずに終わっていたかもしれませんが、こうして異国の地で皆で応援しようということがあったのと、あとはイギリスの街のサッカーの盛り上がり様が凄くて、家々からイングランドの旗が垂れ下がり、街の人たちはユニフォームを着て自分が今から戦いに行くかのような面持ちでパブに向かい、街を走る車もイングランドの旗がたくさん靡いていました。

他にもワールドカップが教えてくれたことはたくさんあって、きっとまたこれから開催されて行くワールドカップの度に2014年のワールドカップは、と自分の中で一生思い出に残る出来事だったと思います。

決勝の翌日のイギリスの新聞は

とてもイギリスらしいです。



2014年7月14日月曜日

黒髪の川

毛先がだいぶと伸びてきて
そろそろ私もロンドンの美容室デビューかと思っていたら
「紘未 髪を少し切っても良いかい?」
と物凄い笑顔でヘアーさんとスタイリストさんが撮影前に言うので、どのくらいかとブッカーに確認をしてから
一発目のハサミの音を聞きました。

結構いったね と思い

OK紘未Thanksと言われた時には
床に短い黒髪が散らばっているどころではなく
黒髪の川に私は今立っている マル
という感じでした。

本当に大丈夫だったのかと帰りにエージェンシーに寄ってみると
皆 I like it.とは言っているがちょっと疑いました。

でも今日の事は今日考えて、明日の事は明日考えようと
しばし鏡を見ながら右、左を繰り返しています。


2014年7月13日日曜日

となりにいる人

今日はとても良い天気で少しの間快晴が見られたので
沢山色んなものを洗濯しました。
実は大家さんが一昨日から居ないので、どこに何があるのか分からない事があって
まず大家さんが居なくなった日に重大なミッションを与えて下さったので
それをクリアするのにドキドキと四苦八苦を繰り返しました。
そのお陰でまた出来る事が増えました。

そして今日、何分洗濯機の前に居たや分かりませんが
外国の洗濯機の機能がよく分からなくて
何コースだったのかは謎ですが、何とか回ったと思い
今度は出来上がってからどう頑張ってもフタが開きませんでした。
いやこれちょっと流石に大家さんが帰ってくるまで放置できないと
あらゆるボタンを押してみましたが
どうしても開かないので申し訳ないが大家さんに電話をしました。

そしたら「鍵マークを突き指するくらいプッシュする」という指令が出たので全力で洗濯機に立ち向かいました。
ペローンと開いてくれた時には何だかやっと心を開いてくれたんじゃないかというくらいの充足感を感じ、イギリスの空に向かって豪快にシーツを広げました。

そして先日ケイトの息子2人には少し空振りで終わってしまったトトロを英語バージョンで見ました。まずビックリしたのは「歩こう歩こう」とあのトトロを今から見るぞという気持ちの入りが覆されたことです。
とても張りのある女性の「Hey let's go! Hey let's go!」という歌詞から始まったので結構本気になりました。
そのお陰もあって「となり」というポジションについて色々感じました。
まず英語の題名が「MY NEIGHBOUR TOTORO」であることにも今まで思っていたニュアンスと違ったので、でも見終わった時にはなるほどと、今まで発した「となり」について撤回することがあるなと思わせて貰いました。それ以外には絵が本当に綺麗で久石譲さんの音楽とジブリはやはり最高だなと思い、メイの髪型もとても似合っているし、お父さんの子供への言葉もとても良かったです。
でもトトロはコマに乗って飛んでいくし、一体何者なんだと思いますが
となりのトトロなのでしょうかね。

そのトトロのDVDは大家さんが置いて行ってくれたmacで見たのですが
macを使った事がなかったのでDVDの取り出し方が分からず未だ
となりのトトロ in this mac です。

他にも色々やらかしている気がするので早く帰って来て大家さん


2014年7月11日金曜日

天気の気持ち

今日のロンドンは曇りと雨の繰り返しでした。
冬は恐ろしいほど晴れる事は無かったのですが
この時期は雨が降る日の方が少なくて
冬の雨とはまた違った音がとても豊かで美しかったです。

ロンドンにいる間の天気は一つ一つにとても意味があって
考える事も違ってそれが今は一つの楽しみでもあります。
雲一つなく右も左も快晴のような天気は、見た事のないような気がしますが、最近の晴れた日の雲は立ち昇る姿を横から見ているような、何だか絵を見ているみたいで
自分の心がそこにとても昇華されていくような気持ちになります。

曇りの日は曇りで物凄い迫力なので自分の心を内へと向かわせてくれて
少し考えなければいけないことを考えて
嘘のように突然降り注ぐたくさんの雨には、少し走ってみたり
ゆっくり立ち止まって、静かにその時を見ていれば良いのかなとそういう気持ちにさせてくれます。


2014年7月9日水曜日

100系新幹線



やっと会いに行くことが出来ました。
前回フライトの関係で、滞在中お世話になっていたエディターのケイトとその息子二人にさよならを言えずに発ってしまって、日本に着いてからケイトのメールを見て
もう何とも言えない気持ちになっていたので、やっとやっと会いに行けました。

まずさよならを言えなかったことを謝って
お兄ちゃんのカシアス君は優しい声でそんなことは良いんだと、また帰ってきて会いに来てくれて嬉しいと静かにハグをしてくれました。
ジャパンセンターでお刺身をたくさん食べたこと、算数をとても頑張っていること
そして前回帰る前に渡したかったものだと、左手の薬指にカラフルなゴムで編んだ指輪をはめてくれました。



また何とも言えない気持ちにさせて貰いました。

滞在中、毎日のように新しい線路を作ってプラレールを見せてくれていたので、日本から100系の新幹線をお土産に持って行きました。息子二人と感動の再会も束の間で、子供部屋から大興奮の声が聞こえてきました。

もう一つ、前回トトロトトロと言っていたので、トトロのぬいぐるみも渡したのですが、日本の新幹線はやっぱり格好良くてとても速いみたいです。



2014年7月8日火曜日

シャッターの

今日は事務所の下の管理人のおじさんと天気以外の話も少ししてきました。
取り留めもない話を3分ほどしたのですが、おじさんはコーンスープが好きだということが分かりました。
日本に帰る頃にはきっと、管理人のおじさんの好きなものをたくさん知って帰ることが出来るんじゃないかと思います。

そして先々月、日本で海外誌を見ていた時に、ある写真でこの人の女性に対するアプローチの仕方というか、そのフォトグラファーの女性の描き方が凄く好きだと思い、その写真を頭のメモリーに入れて置いていました。

次の日の撮影のチームを調べていたら、その写真がフォトグラファーのホームページにあったので、私のシナプスは動き蠢き、海外の方々の分かりやすい名前以外は男性なのか女性なのか名前だけではまだ判断がつきませんが、そのホームページにある写真たちを見ながらこんな人かしらと想像を膨らませて現場に向かいました。


会った瞬間、この方があの写真を切り取った方なのかともう思った通りの、そして思った通りのシャッターでした。

あなたの写真を日本に居た時に見て、とても素敵だったので今日会うことが出来て本当に嬉しかったと伝えられました。



2014年7月1日火曜日

ゲーテの5年

今日のロンドンは晴れです。

先日、小学校の時からの友人から
”大人になってからの魔女の宅急便の良さ”について熱弁を受けたので、英語バージョンの魔女の宅急便を見てみました。

英語バージョンのキキは何だか13歳には見えませんでしたが、幼い頃に毎日終わっては見て、終わっては見てを繰り返し、キキのように13歳で独り立ちをするために毎日箒に乗る練習を欠かさず、ジジのようにお供をしてくれる猫を手懐けることにとても苦労しました。
カタツムリやバッタや度々持って帰っては家の人を驚かせ、遂にやっと仲良くなった猫君を担いで帰った日には本気で家に入れて貰えませんでした。

キキの独り立ちよりも10年程あとになってしまいましたが、しかしそれも独り立ちというのでしょうか、自分の意志でこうしようああしようと判断するまでにはきっとキキよりもダブルスコアほどになっていました。
キキのようになりたいという夢を持って見ていた魔女の宅急便と、実際にキキのように新しい街で修行をし始めた今とでは未知だったページに目まぐるしくどんどん絵が描き足されていくような感じです。

自分の育ったベースがあり、応援してくれる友人が居て、漸く辿り着いた新しい街の大きさや人に圧倒されながら、大変なことも沢山、ハプニングも沢山あるけれど必ず助けてくれる人が現れて、失敗する度に色んな知恵を絞り、奮起させられる出来事があって、新しい出会いに友人に、好きな人にと、最後はこの街に来て本当に良かったと思えることがこれからの自分にとって自信に繋がるんじゃないかと思います。

何だかとても今良い匂いがしていて上手く言えていませんが、今日でFRIDAYにお世話になって5年になります。
色んなことがありましたがとりあえず3年、何もなければそれで辞めていたや知れませんし、何度も辞めよう辞めようと思いましたがその度に何かが起こり今に至りました。
石の上にも三年、ゲーテは物事は五年、関根勤さんは笑っていいともに慣れるのに八年と新聞に書いてありました。次の八年目に向けて、今この場所に来られたまでを改めて振り返り、育てて頂いたFRIDAYに今一度感謝を伝えたいです。

社長。正直上京したての私には社長からの電話が恐怖で仕方ありませんでした。今日はまた何を言われるのかと覚悟をして受話器ボタンを押していました。ブログも今は漸く自分の文章を見るとその時々の心の状態が分かるまでになりましたが、ブログをやるようにと始めた初期は本当にただのストレスでしかありませんでした。自分の言いたい本当の言葉も見つからず、漸く出来たと思えば写真や文章に対して電話が鳴り、正直これも何度辞めようと思ったか分かりません。
でも黙って上手く物事を伝えられなかった私の心の内をこのように整理整頓させるためにも、写真や日常の状態や、きっと他にももっと、言いませんけどこういうことだったんじゃないかと、今では大切な時間に大切な人にその時に感じたことを自分なりの言葉で言えるようにもなりました。
最初はきっと訳の分からないことを話す関西人だったかも知れませんが、FRIDAYに携わる沢山の方々のお蔭様で今は訳の分からない英語を話す日本人にならないように日々英語に奮闘しています。5年前、私を拾って下さり、本当に本当にありがとうございました。
まだまだワーワーと大切なマネージャーの皆様に時差攻撃をして困らせていますが、本当にどれだけ支えて貰っているか分かりません。

モデルとしてだけではなく、人として育てて貰って、お蔭様で大事な20代をFRIDAYとその御縁のある方々と過ごすことが出来ました。今は遠くにいるので若干言いたいことを言っている雰囲気はありますが、いつ帰るや分かりませんけど帰ったらどうぞ温かい気持ちで抱き締めて下さい。
これからもどうぞよろしくお願いします。

model agency FRIDAY  山村紘未





2014年6月27日金曜日

虫の脚


イギリスに来て二週間が経とうとしています。
この二週間、電車の窓に張り付いた忍者ハットリ君のような虫みたいに過ごしていました。

今まではイギリスに来ても少しの滞在だからと心のどこかに思っていて
あまり知り合いを作ることもしなかったのですが、やはりどこか自分の心の中の面持ちが少しは違うようで着々と何かが形成されているようです。

今まで話をしたことのなかった人達と話をする機会があったり
今見ている世界がいつもの日常とは大きく違うので
私にとってはこの1分1秒全てが勉強のようです。

朝は毎日のようにエージェントに行って、ハグとほっぺた同士の挨拶を交わして
スケジュールをもらって、よっぽど遅くならない限りは帰りにまたエージェントに寄って、今日のスケジュールを与えてくれたことに感謝をしてハグとほっぺた挨拶で一日を締めています。
とりあえず大事なことだけはすっ飛ばさないように出来ることから始めています。

色んな所に毎日行くので少しずつですが前より英語も出てくるようになったのと、エージェントの下にその建物の管理人のおじさんがいるのですが、毎朝ご機嫌を問い、天気の話を必ずするので今までHow are you?と聞かれてもfineとgoodくらいしか言い方がわからなくて、時差ボケでスーパー頭が痛い日もI'm fine! 山村ノロ未の千鳥足だった日もI'm good!Thank you!と言っていたのが少しずつおじさんのその日の気分により日常のちょっとした受け答えの言い方を覚えてきたように思います。

とにかく来て一週間はいつもと違った日常に、目の前に突然現れてくれる人達との出会いと時間が奇跡のように思えて、どんな小さなことも今は凄く喜びを感じています。

これは東京に初めて来たときもこんな感じだったなあと思って、私はまたこうしてこの感覚を感じられて、これを少しの間楽しんで、あとは今このイギリス生活を一生忘れないようにやりたいことが一つあって、それを今楽しみにしているところです。

今は出来ないことの方が多いですが、毎日少しずつ自分の体がこの土地の気候や水に慣れて、話せる言葉や時間が少しずつ増えていることに少しでも自分が毎日変わっているのかなあと実感できる環境にすごく感謝をしています。




2014年6月16日月曜日

運ぶ

無事にイギリスに戻ってきました。

何だかここに来るまでに色んな色んなことがありました。
正直言うとまたイギリスに戻って来るかはずっと定かではなくて
でも日本に帰った3ヶ月、色んな方々とお会いして、これまでもお世話になっていた方や初めてお会いした方が沢山の言葉や教えを下さったお陰でまたここに戻って来られたと思っています。

上京して初めての一人暮らしの西日に、一体何をすれば良いのか分からなくて
とりあえずその町にあった古本屋のおじさんに
田舎の駄菓子屋同様 「おっちゃん!」 と声をかけてしまってから
どこか遠くへ行く度 自分の身を運ぶことは「運」と書く とそのように言ってくれました。

人生の少しの時間、自分の身をいつもとは違った環境下に置いて
良いことも良くないかも知れないこともその時々に生き抜く知恵を授かって
より一層心を豊かにできるようにこれからもっとこの仕事に感謝していきたいと思います。


(c)Sayaka Maruyama

まだまだ眩しくて眩しくて

2014.6.15 山村 紘未









2014年5月17日土曜日

再会

5月の前半はとても不思議なことがたくさんあって、再会がとても多かったです。
道で偶然に会ったり、何だか不思議なことも不思議なものもいっぱいでしたが話をしていて何か目に輝きを持たせてくれるような、そんなお話がたくさん出来ました。東京に出て色んな人にお会いしましたが、今目の前にいる人達が本当に自分にとって一生の財産だと思える場面がいくつもありました。
 
とても伝えたいことがあったので先月電話をしたところ
「現在使われておりません」と耳の先で言うので、あぁ遂に居なくなってしまったと思っていたら突然に連絡があって、会ってきました。
 
やはりyoshiki さんのctureのドレスを着るとそれぞれのドレスが持つエネルギーが違って、それぞれに全然感じるものが違うのです。
1年ほど前初めて身に纏った時に、とても抽象的かも知れませんが、服が何か言っているような、自分の細胞なのか何なのかが何かを感じて、これがお洋服と対話するということなのかと初めて着るということのヒントを教えて貰ったような気がします。それから久しぶりに纏いましたが、やはりそれぞれが持つドレスのエネルギーが全く違って、今回着たものは大地が蠢くようなそんな力を持っていました。それにしても幅が凄いです。
 
ロンドンのコレクションでjohnの服を纏った時もこれもまた全然違って、多分その服に宿ったデザイナーの心だと思うのですが、これも抽象的ですいません、私の心をとても穏やかに美しい気持ちにさせてくれました。恐らくむちゃくちゃな英語だったかも知れませんが、この気持ちも初めてだったのでどうにか伝えようとjohnのスタイリストさんにゆっくりパクパク伝えてみました。
今その時のことを少し思いだしましたがjohnのスタイリストさんは品があってとても美人なのです。
 
きっと5月の後半は伝えるということが課題になってくると思います。
今までモゴモゴ心の中にしまっておいたものを少しずつ伝えるという作業をやっていくことになるだろうと思います。
  
 
最後に全然関係の無いことですが、先日たくさんのウミネコ君を見ました。
純粋に誘ってくるので本当にたまりませんでしたが、色白の彼女の目が美しくて、シルクのワンショルダーのドレスが本当に似合っていました。
 
 
 
 
 


2014年5月1日木曜日

5月1日

今日は世界でたった一人の兄の誕生日です。
 
先日実家に立ち寄った時にたまたま兄も帰っていました。私の背中や首に磯巾着のような動きをしてくるので私は肌を鳥で対抗していましたが、磯巾着の兄と久しぶりに顔を合わせると互いに顔がだんだん似てきたように思いました。
 
普段兄について思い出すことは無いのですが、この兄との幼き頃の遊びでは、いつも対戦で必殺技の練習台にさせられ、ドラゴンボールごっこでも「紘未 ドラゴンボールごっこしよう俺ベジータ 」と一つのワンフレーズのように先にキャラクターをとり、ならば主人公をと 「じゃあ私」「お前ごはん」 と被さってくるので仕方なく構えるのですが、どうやら私は幼少期のごはんのようで変な尻尾をつけさせられ、学校の制帽に丸く新聞紙で作られたドラゴンボールをつけて、明らかに弱小そうで、案の定ベジータの技をくらいまくるといった、妹はいつも兄の勝利の練習台でした。
 
せっかくの兄の誕生日なのでこれらの遊びから、兄は妹にどんな大変な状況でも知恵を絞り、何事も打ち勝てという学びを教えてくれていたのだと思ってみますが、時を越えて謝って欲しいので今から電話しようと思います。


2014年4月30日水曜日

4月の終わりに

 
先程ロサンゼルスの旋風娘がロスに帰って行きました。彼女と過ごした一週間がこの四月を纏め上げてくれました。2014年が始まって、3月まで頭の中がフル稼働だったので、4月は自分の中から出て色んな世界を見てきました。
 
古くからの友人に会ってみたり、大学時代の教授に会ったり、バスケ時代に憧れであった先輩に10年ぶりに会ったり、友人の結婚式に参列したり、締めがこの旋風娘との出会いでした。
 
色んな軌跡を辿って、目の前の人や物事を通して今を見てみるとまた色んな事が分かりました。
この四月は春日山から出て人間界をとても見たと言う感じです。
 
ロサンゼルスの旋風娘はこの一週間で日本でやるべき全てと得るべき全てを得てロスに帰って行きました。
飛行機や自分より遥かに早い乗り物に乗れば、その距離を自分の足だと幾年かかるや分らないところを物凄い時間の巻き戻しをしてくれるので、色んなことが人生の時間調節になって、それぞれのタイミングですべき時にそれを全力でするのです。
 
そんな彼女と別れた今はまた芭蕉心が蘇り、自分の心がまた何かの訪れを感じているのです。
 

 
 

2014年4月28日月曜日

満塁ホームラン

 
昨日はとても素敵な結婚式に参列してきました。
 
この涙の正体は一体何なんだと言うくらいホロホロホロホロ勝手に涙が出てきて、新婦のお父様がバージンロードで娘を手放す時のあの背中の最後の一押しの手がたまりませんでした。
新郎は新婦をとても可愛くさせる魔法を持っていて、新婦は新郎を強くさせるパワーを持っていました。夫婦とはやはり二つで一つなのだと思いました。
 
彼女は出会った時からとても笑顔が素敵で、昨日共に撮った写真を見返していると、今までに見たことも無いような笑顔の自分が写っているのに驚き、彼女はずっと私をいつもこんな笑顔にさせてくれていたのだなぁと思いました。そしてその彼女の素晴らしい笑顔をつくって下さった御家族や御友人様に昨日はお会い出来て、全てが幸せで終わりました。
 
こんなにも心が勝手に想える友人が東京に出てから出来ると思っていなかったので私は本当に幸せです。
 
そしてその友人の背面ブーケトスで私はその場から一ミリも動くことは無かったのですが、手の中にブーケが舞い降りてきてくれた時は、何だか中学時代ソフトボール部に所属していた時にバッターボックスでボールがスローモーションに見えたことがあって、その時のようにブーケがスローモーションに見えました。

 

2014年4月25日金曜日

相対

 
昨日、ロサンゼルスから帰ってきた友人と
海外で過ごした時間と日本で過ごす時間についての話をしました。
 
イギリスで英語がままならなかった私の耳は常に全力を尽くしてくれている状態で、音にとても敏感になっていました。音がダメなら目に見える範囲で何か察知しようとしたり、普段働かせていた部分が日常から違っているからか、初めて感じた事が非常に多く、それを毎日少しずつノートに書き留めていました。
 
日本と同じ時間が用意されているはずなのに時間の使い方も自分の内なるものに耳を傾ける時間が非常に多かったので、頭の中に浮かんでくる言葉に対して式を少し上手く並べられるようになって、自分なりの解を何かしら導き出せるようになった気がします。
 
日本にいると何も考えなくても人が話していることが耳に入ってきて
情報がとても多くて、あれをしようかこれをしようかとそのものに対し本当の自分の本意に基づいているのかの判断にすら辿りついていなかったけれど
イギリスにはモデルとして行っているという確固たるものもあったので、仕事も日常も自分の中に取り込めるものを集中して取りこんだような気がします。
 
そうすると何が好きなのか、どうすればどうなのかと少しは自分の内側に耳を傾けるのが上手になったというのでしょうか、そうなると体に何かしらの反応が出ても、そのことに対して感謝ができるようになり、感じたこと全てが身体に反映されて、それもまた感謝の気持ちに変わりました。

イギリスで思い切りが良いほどに体調を崩してしまい、そのお陰で生きて行く上でとても大事な食の面と、”自分を知る”という表現者としてとても大事なことを学び、究極はこんなことになるのかという自分の弱さも知り、こんなことでくたばってたまるかという自分の強さも同時に知りました。

そして何より今回仕事を通じて、本当に悔しいと心から湧き立つ情念というのでしょうか、この気持は部活以来で、それを感じられたというのは、大袈裟かも知れませんがそれが今の自分にとって全てであり、自分を担保にして挑む事柄であると改めて感じました。悔しいからやる。のだと。

その気持があったからこそ、美しいものを美しいと感じることが出来たのかも知れません。

 
 
 
 
 

2014年4月16日水曜日

日本橋兜町8


いつもどちらかと言えば体は冷たい方なのですが、今日の西日は一段と温かく感じられました。
 
私はとても大切なことを思い出しました。
 
 
 
日研総業 「モノづくりニッポン e仕事×ReVALUE NIPPON」
監督 伊東玄己  撮影 操上和美  
 
 


2014年4月14日月曜日

隣はsainsbury

 
「ケイト、私はここへ来る前演技のレッスンに通っていたんだ。
ある舞台のオーディションを受けたのがきっかけで、
なぜだか分らない。でも自分の細胞がとても輝くような気がして、
やったことも無いし、でもその監督となら何かとても人の心に触れられるものを作れるんじゃないかってそう思ったんだ」
 
ファッションウィークが終了したその夜に、私はケイトにイギリスに来た理由を少し話した。
 
私が最初にイギリスの地に降り立ったのは監督がこの世を去ってしまった2週間後のことだった。
 
ショックのあまりすっかり意気消沈してしまった私は
「もうイギリスに行って何もなかったらモデル辞めます」
とだけを事務所の社長に残し
日本を発った。
 
小さなキャリーバックと地球の歩き方と調べておいたイギリスのモデルエージェンシーのリストだけを持ち、無事にイギリスに着いたは良いが何のアポイントメントも無しに地図だけを頼りに調べたエージェントのいくつかの周りをグルグルウロウロするばかりで一向にノックをすることが出来なかった。
 
とうとうイギリスの街中にあるベンチに座って
私はイギリスに来てまで何をやっているんだと静かに監督のレッスン中の言葉や先生たちの言葉を思い返していた。
 
何をこんなにビビってグズグズしているのか。何をやっとるんだと。
時間は15時半になろうとしていた。ほとんどの事務所のオープンコール(モデルが事務所を自由に訪れて良い時間)が16時までであった。
私は地球の歩き方を捲り、ここから一番近い事務所はどこだと一目散に向かった。
足早に足早に。
ここだと飛び込んだ先は今なら分るがsainsburyというスーパーマーケットだった。
キョロキョロキョロキョロキョロキョロ
 
事務所はsainsburyの隣であった。
たまたま事務所の前で煙草を吸っていたヘッドブッカーがその一部始終というか全始終を見ていた。
ブックを持った黒髪ロングヘアのアジア人が勢いよく事務所をスルーし、sainsburyに入って大きな何かを探しているのだ。
「うちの事務所を探しているんじゃないのか?」
 
私は失礼ながらにも「あなたは事務所の人ですか?」と尋ねた。
クスッと(笑ったように見えた)隣の2階の事務所に連れて行ってくれた。
彼女にブックを渡し、一人目のブッカーと面接
昔習った英語を引っ張り出し、何を言ったか覚えていないが、
コレクションに出たい。世界を回りたい。
と今伝えられることを全部伝えた気がする。
そして次、次、次と合計4人のブッカーと面接をし、所属が決まったのだ。
嘘かと思った。
「急いで通り過ぎてスーパーマーケットの中で道に迷っている姿が本当におかしかった」
と多分そう言っていた。
 
言葉が通じないから伝えなければいけないことがあった。私はヘッドブッカーに約束をした。
 
まだまだまだまだ
 
 
 
 
 


2014年4月9日水曜日

祝い

 
今日はとても素敵な一日を過ごしました。
 
日本に居る間にあれをしようこれしようと色んな事に興味を抱くようになって、
今までやったことが無かったことをやってみたり、食べ物の面では本当に好き嫌いが無くなりました。
今までちょっとのコーヒーも飲めずにいたのですが、イギリス滞在中にお父さんのジョーが淹れてくれた朝のコーヒーがとても美味しくて、日本に帰ってきてからもコーヒーのメニュー蘭を見るようになったり、
今まで美味しく飲めずにいたワインも過酷なファッションウィークの終了後に
お母さんのケイトと、なぜ今自分がイギリスに辿り着いたのかという話をして
それが一生忘れることのない味になりました。
 
食の大切さと同時に食の楽しみ方も知ることが出来ました。
 
 
そして今日は関水結花氏の生まれた日ともあってディズニーランドに初めて行きました。
matohu 2014ss 『尽くし』 backstageより 祝い右から2つ
 
二人にも驚かれたのですが最後の夜のパレードを見た頃にはもうディズニーありがとう!という気持でいっぱいになりました。
たくさんのショーや乗り物にも乗って、いつも関水氏の優しさは菩提樹のようだと思っていたのですが、フィルハーマジックで見たミッキーのドナルドに対する優しさがとても彼女の優しさに似ていたので、「今日からミッキー」と静かに心の中で思いました。
 
アトラクションについては飛行機や新幹線以外に自分のペースよりも遥かに速くて体感する乗り物は久々だったのでなるほどと思う事も多く
もう一つはトイストーリーの中に出てくる三つ目の黄緑色のキャラクターが
ウィンクをしている壁画があって、三つ目のうち二つを瞑ってウインクを成立させていることに、これも大きななるほどとなりました。

 
 
 
 
 


2014年4月1日火曜日

4月初め

 
 
日本に帰ってきて、目に入るもの何もかもが真新しく感じ
その感動や感覚に任せて行動したのが三月でした。
かっぱ橋に最初に訪れ、最後は自分の故郷に帰り
原点にも立ち返ることが出来ました。
 
勿論その間、東京の街を歩き、歩き、歩き廻りました。
まだまだ足りません。知りたいことがいっぱいです。
 
それと同時に今までは、休みの日は何をしていますかという質問に
本を読んだりジムに行ったりと平凡な回答しか出来ませんでしたが
今回のイギリスで食の大切さを改めて感じた
というより身を持って痛感したので
毎日出汁を取ることから一日を初めていました。
 
随分と前に、撮影隊でご飯に行ったときに
スタイリストさんがメニューを見ればその店の愛を知ると言い
フォトグラファーさんは良い仕事は良い食事からと言いました。
 
当時住んでいた街の古本屋のおじさんは人を良くすると書いて食である
と言っていました。
 
全ての基本でした。
 
 
 
 
 


2014年3月31日月曜日

10001



先程東京に帰ってきました。
2日間東京を離れていただけなのに桜がもう沢山花を開いていました。
 
大阪での撮影後、少しの間奈良に立ち寄ることが出来たのですが
偶々にその日は私の産まれて1万日目の日だと友人が教えてくれました。
イギリスから帰って一度も顔を見せていなかったこともあって
そのような日に奈良へ戻ることが出来てとても嬉しく思いました。
 
そして10001日目の今日(実際には日付が変わって)
これまで腕時計というものが何だか似合わず
大学受験の時も卓上時計を持参し、着けたことがほとんど無かったので
なにか黒のバンドの腕時計たるものは無いかとカラフルな母に尋ねたら
母の母が、90歳で亡くなった虎之助兄さんの腕時計を着けてくれました。
 
針は1時で留まったままですが新たな始りとなりそうです。


2014年3月26日水曜日

ゆりか殿

 
 
初めて会ったのは私が上京して間もなく
大きな品川の駅で、ヨージさんのショーのキャスティングだったかしら。
何も分らない私を笑顔で出迎えてくれて、その場所に連れて行ってくれました。
早いものでもうすぐ5年が経とうとしています。
 
きっと私たちは途中途中仲の良い友達でもあり良き一番の私の理解者でもあり、そしてライバルだったと思います。
今ここに立ってみると自分の世界とゆりちゃんの世界とそれぞれに取り巻く世界が全く違う事に当時は分からず、今になって全てが優しく穏やかな彩として心に落ち着きをもたらしてくれています。
ゆりちゃんが居てくれたお陰で奈良に帰らずにここまで来れました。ゆりちゃんが居たからモデルの時間を楽しむことが出来ました。本当にありがとう。
全てにおいて幸せに、これからもっともっと格段に素敵な世界に出会えますように。
お誕生日おめでとう。これからもずっとずっとよろしくお願いします。
 
2014.3.26
 
 
 
 
 
 
 


2014年3月23日日曜日

全てはキャッチャーの腹に

、 
 
朝、目が覚めてカーテンを力強く縛り、あぁ今日も良い天気だと
かっぱ橋で新調した長方形のお皿いっぱいに焼き魚を置いて
これほどまでの穏やかな朝は年明け以来だと漸く自分の心に戻ってきました。
 
来週はとても楽しみなことがたくさんあるので、この週末は読み物に耽ろうと深川のしまぶっくに行きました。
 
 
この日本の文様シリーズを全部見たいと思ったのですがこれを一同に持って帰ると腕がきっと2、3センチは伸びると思うのでどうしようかなぁと考えている内に私の腕は既に7冊の本を抱えて居ました。
 
日本の文様とは全く関係のない本なのですが
小学館から出ている 週刊日本の天然記念物 『ホタルイカ』日本イカ・タコ図鑑
という表紙を見た時にソフトボール部に所属していた中学時代を思い出しました。
 
当時ピッチャー だった私はバッテリーであるキャッチャーの子と過ごすことが多く、彼女の思い出はとにかくよく食べるという事でした。
 
炎天下の中やっとのことで辿り着いた昼食にも私たちは口を開けて物を入れる元気すらありませんでしたが、彼女の弁当箱は皆の3倍はあり、弁当箱と言うよりかは弁当タワーでした。
 
いつもニコニコしながらそのタワーを食し、挙句の果てにはなかなか食の進まないサードやセンターの子の卵焼きにまで手が伸びるという4番キャッチャー大食いでした。
 
ある日、そのキャッチャー家にサードとセンターの子と遊びに行きました。
とても良く似たお父様が14歳の私たちに見たことも無いような美しいホタルイカを出してくれました。
どの時間帯にそれが出てきたのかは忘れてしまいましたが、晩ご飯を一緒に食べたのか、まさかおやつの時間帯に出てきたのか、それを忘れるほどに際立った美しさを持ったホタルイカだったので、その日から私たちの中でキャッチャーのお父様は『ホタルイカのおっちゃん』と命名されました。
 
 
 
 
 
 

 

2014年3月21日金曜日

チューリップと小鹿

 
 
昨日はずっと雨でした。
先日の嵐で私のお気に入りの傘一号が大破してしまったので、昨日は二号と一緒に家を出ました。
 
寒さも逆戻りして、そんな時に限って何故か薄着のコートをチョイスしてしまいましたが
昨日は上京してからずっとお世話になっている事務所の社長の誕生日でした。
 
 
イギリス生活の中で日曜日にしか開催されないフラワーマーケットがあって
日曜日になると皆が挙ってそこにお花を買いに行くので、午後にはいつも家中がお花でいっぱいになっていました。
ケイトはチューリップが大好きで、毎週黄色やピンク、
その愛らしさを知ってしまった私は濃いめのピンクのチューリップを昨日10本買ってオーディションに向かいました。
 
かなりの時間持ち歩いていたやしれませんが、雨が降ってくれていたお陰で社長の手に渡るまで、チューリップ達は元気に居てくれました。
 
上京してから幾度となく壁にぶつかり、色んなことが色んなことがありましたが昨日、漸く今季のコレクションで初めて社長にrunwayが楽しかったと報告出来ました。
 
今まで緊張のあまり舞台袖でガクガクブルブルワナワナしていたのが海外のコレクションを踏んで少しは肝が据わったのかいつもとは全然違いました。
 
本当にモデルを始めた頃はリハーサルが終わって、演出の人に「お前は生まれたての小鹿か!」と本番が始まるまで裏でずっと歩く練習をしたり、そんな時から考えると一歩一歩足が前に出るようになったなぁと思います。生まれたての小鹿も春日山を少し登るれるようになったみたいです。
 
チューリップにその小鹿の成長も添えて社長にプレゼントをしました。
 
 
KBF 2014-2015AW
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2014年3月18日火曜日

ふきよせ

 
 
 
東京のコレクションが始まるまでにイギリスの事を纏め上げようと思っていたのですが
遂に昨日から東京のファッションウィーク が始まりました。
今季、私のAWの封切はmatohuさんでした。
 
 
 matohu 2014-2015AW
 
 
人生で初めて自分の中では長期日本を離れていたので
日本に着いて目に入るものがいつもとは違って見えて色々確かめたいことがあったので一番最初に浅草のかっぱ橋を訪れました。
 
イギリスの生活の中で最も気になったのが食卓の音でした。
お箸と、陶器や漆器とが重なる音と
銀食器と、カンカンのようなお皿や陶器とが打ち合う音
 
もう少し視覚的なことも言えば、日本の食器に描かれた和柄に藍の色
持ち上げた時の手の感覚、これはイギリスでは見ることはありませんでした。
 
日常お箸が普通にあって
漆器やお茶碗の柄や、さぞ当たり前のように感じていたものが無いのです。
それをかっぱ橋で改めて見た時のなんて美しいんだろう!という感動ったらありませんでした。もっと言うと、日本語の平仮名の字体をそれぞれのお店の看板ごとに見た時も、真昼間の閉まった焼鳥屋さんの前で何だか遠くにとても情緒のようなものを心のどこかに感じてサーっと後ろに倒れそうな不思議な気持ちになったり、
お蕎麦屋さんの前でただ「おそば」と草書に近い字体を見ては何て、なんて優しい心なのだろうと感動をしてしまいました。
平仮名にカタカナ、漢字、日本語には沢山気持を表現出来る字体があってとても良かったなぁと思いました。
 
 
東京のコレクションの話からはだいぶと逸れてしまいましたが
 
今回でmatohuさんのお洋服を着るのは4シーズン目になります。
毎シーズン、ショーの前にmatohuさんのアトリエでメイクテストをするのですが、
デザイナーのお二人と演出の辻井さん、ヘアのABEさん、メイクのNODAさん、スタイリストの長瀬さん、皆さんの意見を聞きながら、そしてデザイナーお二人の表現する世界を皆で創り上げていくそのほんの少しをいつも傍で見させて頂くのですが、どれほどに拘わって、どれほどに互いを尊重し、思いやり、
そしてアトリエの上の方をフッと見上げた時に目に入るmatohuの理念というものがあって、それを見る度いつもあぁここに来られて良かったなぁと思うのです。
 
matohuを着られることを誇りに思い、デザイナーお二人を人として心から尊敬しているのです。
 
デザイナーお二人もかつてイギリスに渡ったことがあるようで、その時何を感じたのかとても聞きたいですが、このmatohuのコンセプトにもある「日本の眼」というもの、経験してこられた人生の中でお二人が表現するクリエイションに辿り着いた経緯をいつか直接聞いてみたいです。
 
 
 
 
 
 
 


2014年3月14日金曜日

エジソンの母

 
 
 
 
今回の滞在で何が一番良かったかというと
 
イギリス人の家族と一緒に生活を共にしたことです。
 
 
イギリス人の一週間の生活サイクルや、生活の中に何があって何が無いのか、
家族の愛などとても学ぶことが多かったです。
 
 
今そのお世話になったエディターのケイトとメールのやり取りをしているのですが、
 
私は飛行機の関係で急遽イギリスを発つことが決まってしまって、お父さんのジョーには挨拶が出来たものの、ケイトと5歳のカシアス君と2歳のアーロー君にさよならを言えませんでした。それが今でも本当にショックで、でも二人の元気な写真がケイトから送られてきて、今とても幸せを感じています。
 
最初は二人となかなか上手くコミュニケーションがとれませんでしたが、
次第にカシアス君はお気に入りの物差しを見せてくれるようになったり、学校に行く前にハグをしてくれたり、おもちゃの電車やレゴや、とても上手に作って見せてくれるのでとても嬉しかったです。
 
アーロー君の方は一緒にカラフルな粘土で色んな動物を作ったり、絵を描くのが本当に上手で
家族一同、カタツムリという単語をとても気に入ってくれました。
 
玄関のドアを開けると膝のところにアーロー君が走って抱きついてくれた時は何というのか今までに感じたことのないような気持にさせてくれました。
本当に彼らから今までに知らなかった感情をたくさん教えて貰って、ケイトとジョーの子供たちに対する愛情や、何を大切にしているのか
 
これは私にとって本当に勉強になりました。
 
 

 
 
 
 


2014年3月7日金曜日

雨処ニ寄リ晴レ

今日は晴れていてとても嬉しいです。
 
 
太陽の光を浴びないと時差ボケが緩和されないので最近は一日が何時間かも分らないくらいに変な時間に物凄く活力が湧いて来たり、しかし日本時間のその時間に活力が湧いたところでその矛先に困っていました。
 
 
時差にどうも弱いようで、向うに着いてすぐエージェントに挨拶に行ったらば
 
「ヒロミに英語の先生を呼んだわ」
 
と言って下さるので、すぐその日にレッスンが始まり
イギリス人が他の国の人にどのように英語を教えるのかとても興味がありました。しかし思っていたのも数分で、普段本当に使わない脳の一部を使ったからなのか時差ボケからなのか、レッスンが終わった後、目に見えるほどゲッソリしていました。
 
内容としては良く似た熟語や単語をシチュエーション別に穴埋めする作業で、日本の英語の授業に比べると難しさの畑が違う感じでした。似通った意味を持つ熟語や単語を日常起こり得るシュチエーションに合わせて、適切な言葉を選ぶと言うことは日本にいるとなかなか体験できないことなので、英語の環境にいないと学べないことだなと思いました。
 
 
そしてスザンヌ先生が最も情熱を持って私に表現してくれたのは
 
「absolutely」 でした。
 
先生はabsolutelyを伝えるパッションを身体全体で表現してくれて
「さぁヒロミも一緒に!」
 
と、私の顔色の青さは最高潮でしたが、この単語のパッションは一生忘れないと思います。
 
 
 


2014年3月5日水曜日

街と雨

 
 
 
 
今日はとてもたくさんの雨が降りましたね。
 
一日の唯一の楽しみである体育の時間に
黒板に大きく『自習』と書かれた文字を見ると、学習机に暫くひれ伏す状態が続くほど昔はガッカリしたものですが、今回ロンドンでこれでもかと言うくらい雨に見舞われたので、雨の楽しみ方を少し知ることが出来ました。
 
ロンドンは本当に聞いていた通り一日に一回は雨が降らないと気が済まないようで
 
夜の東京の雨の滴の状態というのと遠くから降って来てくれたのだなというのが分かるのは
それぞれが地面に落ちた時のジャンプ力にもあって、車のヘッドライトに照らされた各々の強さが格好良いなと思うのです。
 
それは東京の車同士の間合いの取り方や、いかに雨がジャンプするのに平等に用意されている舗装された道路によるものなのかなぁと思いました。
 
そしてロンドンの雨の日の夜に見たものは雨によって濡れた石畳の道が
それに沿った店の明かりを反射し、雨の日の方が断然に明るい夜を感じられました。
 
一方お昼に見た雨の、太陽への譲り方がマントを翻すようにとても潔くて、
滞在していた窓から見える大きな木にはこの時期まだ葉っぱが無かったので
鋭く四方八方に伸びる枝に留まった滴が太陽に照らされて珊瑚の産卵のように見えたのがとても眩しく美しかったです。
 



 
 
 
 
 
 
 


2014年3月1日土曜日

2014年の始まり

 
 
とてもとてもお久しぶりになってしまいました。
 
右の11月(4)、12月の(5)と新しいブログを始めてからよしよし順調だぞと思っていたのも本当に束の間でした。なんとも、明けましておめでというございますと桃の節句間近に言うのもとんだ失礼ではありますが、2014年が始まりましたね。
 
私は年明け早々にロンドンに少し修行の旅に出ておりました。
異国の地で生活すると言うのはなかなかのドキドキでしたが、今までに見たことのない光景をたくさん見て感じました。
 
色々に悔しい思いも、これまたこんなに美しい人が存在するのかという衝撃も全てが自分の中に沁みました。自分の持ち物に絵具のカラーが増えたような感じです。
 
それと同時になんだかこれから人生が格段に楽しくなりそうな気がします。
 
 
マイペースな時分少々の衰弱はありますがジェットラグ以外はとても元気で
昨日日本に帰って、肌に触れてくれる軟水の滑らかさと自分のベッドの温かさにこんなにも幸せを感じたことはないくらい感動しました。
 
空白の1月2月を取り戻すかのように、これからロンドンで学んだことや感じたことを忘れないように、ここに記していけたらいいなぁと思っています。しばしのお付き合いをよろしくお願いします。
 
何はともあれ今はとてもハッピーなのです。
2014年もどうぞよろしくお願いします。