2019年12月31日火曜日

12月31日

12月31日になった。
今日は奈良へ帰省しようと最後の仕上げにかかっている。
お風呂場の排水溝に冷蔵庫の中身を全て調理し、今年家でお世話になった衣類たちを洗濯した。

最近、朝起きて寒い中、お茶を淹れて魔法瓶に入れたり、色んなところの拭き掃除をしたり、その時間が好きである。
年末に出会ってしまった稲垣えみ子さんの本。
いつかの吉本ばななさんとの対談で気になっていつか読もうと思っていたものを思い出し、図書館で借りた。

年末に多分もってこいの本だった。
究極の片付け本になると思う。
ご本人は片付けるためにこうしたわけではないけれど、今一度自分のすべての持ち物について考えることとなった。

まず家電。
私は東京に来て11年になる。その時に買った家電と何ら変わらないものを今でも使っている。
ただそれを見直してみた。
トースターについて、これに限ってはパンと餅を焼く以外に使っていない。これは焼き網かフライパンか魚焼きグリルでも代用が出来るとのこと。

電子レンジ
これについては非常に便利であるが
冷凍した御飯と、冷たくなったものを温める。あとはガスで調理中電子レンジでさくっとやってしまった方が早いものもある。
全部蒸し器でいける。
そうすると私の小さな冷蔵庫の上に乗っていたこの二つが必要なくなってくる。
そうしたらこの上にスペースが出来て野菜の籠が置けるのだ。

という理想。
今のところまだ電子レンジは渋っているのだが、全て蒸し器でいけることを実証しつつ新しいスペースの確保をしていきたいと思う。

まだまだ来年の計画としてシミュレーションしているのだが、そうすると一つ一つの道具が大切に思える。
トースターが無くなればパンと餅を焼くときの網をめちゃくちゃ大事に手入れする。
蒸し器で温めると鍋をむちゃくちゃ大切にする。
一つ一つの道具を愛でながら過ごしている。
必要なものを必要な分だけ、そしてその道具がいつも輝いていられるような環境にしてあげたいと思った。

来年はもっと身軽にして羽ばたきたい。

最後は全然関係ないけど
題「熱を放出する猫」


2019年12月29日日曜日

3年熟成酢

出ている雑誌などを見て旧友が連絡をくれることがある。
今日は3年ぶりくらいにその友人に会った。
大きなバイクの免許を今取っている話を聞いて、大型だと力がいるから大変だと言うので、私は膝が悪いので難しいかもしれないと言ったら
「オスグッド」
というので膝に良い、そういうお酢があるのだと「お酢GOOD?」と返した。
年末に新しい言葉を知り、3年ぶりに友人の大笑いを見れて幸せな気持ちで早めの今年にバイバイした。

2019年12月25日水曜日

ぱちくり

パクチー売り切れ率が高いスーパーも、この日は残っているだろうと考えた私のタイ料理は悲惨な味だったメリークリスマス


2019年12月24日火曜日

おじいちゃんの時計

私には大切な時計が一つある。
家にも時計を置いてなくて、母が泊まりにきては
「あんたの家は時計はないのか」
「もうこんな時間や」

と11年言い続けている。

多分あんまり時間に縛られる生活をしていないのと体内時計の関係でそんなに時計を見なくても良いようになっている。あとは多分携帯があるというのも一つ。

ただ、私には大切な時計が一つある。
おじいちゃんの形見とでも言おう、おじいちゃんの腕時計だ。(正式に言うとお婆ちゃんのお兄さん) イギリスに修行に行く前にお婆ちゃんが「あんた、これ」と戦争で負傷しても生きて帰ったおじいちゃんのやからと渡してくれた。
ずっと日本時間のまま肌身離さず持っていた。

その時計も電池が切れてずっと止まったままだった。そしてバンドのベルト部分というのが切れて無くなっていたので、針金で止めていた。
そんなこんなで最近年末ともあって色々と整理をしていて、「本当に大切なもの」について考えた。次の日、ずっと気になっていた人形町の大通り沿いの「佐野時計店」に持っていった。

他の方の投稿を見てもらうと分かると思うけど、かなり入るのに勇気がいる。だけど入って良かったし、また来たいと思った。宝物の時計が佐野時計店によって更に宝物度が増した気がする。


2019年12月23日月曜日

髪と世界

髪を切った。
いつぶりだろうか美容室に行ったのは。
ずっとロングをやらしてもらっているせいか、
髪を切ってから思ったけど
自分の身体の中で興味を持ってあげていなかったのだと気がついた。髪が長くて多くてどうしようもないからいつも結んで何事もなかったかのようにヘアバンドであげていた。

髪を切って、髪を触る女子の気持ちが分かり、そしてお洋服を選ぶことが楽しくなった。靴も。
やっぱり諦めちゃいけないんだな。

2019年12月22日日曜日

舞台後の1日の過ごし

朝早くに起きて、9時まで朝御飯や朝の時間を過ごし、そこから思い付いた用事を全て済ませに出かける。
12時過ぎに一度帰宅し昼御飯を食べ、
買って帰っていたスイーツも一つ。
お茶もいれた。

ソファに座り、「座る人」という像があったら忠実に再現した状態で仮眠をとっていた。
目が覚めて15時くらいから映画を一本。
そのあと高島屋の新館に行ってみようと思い立ち、ウロウロした後、所謂デパ地下でお買い物をしてみる。
眩しくてセレブみたい。

2019年12月21日土曜日

舞台 フラガール 仙台公演 完

無事に仙台公演が終わりました。


本当にたくさんの方々にお越しいただいて、たくさんの笑顔に会えました。

8月から稽古をしてきた皆と
「また明日ね」が「じゃあなー!」に変わってしまったよ。



たくさんの思い出が有りすぎて、今は整理もついていないけれど、無事に終わって、それが何よりです。


幕が閉じると同時にまた新しい出発です。

2019年12月18日水曜日

エリザベス

仙台公演に仕上げて行くために最後の耳鼻科に行った。
以前耳でお世話になって、二度目の受診。
エネルギッシュな先生なので、もう治った気分。
鼻声をとにかく治したいと頂いた点鼻薬の名前がエリザベスであることに若干心が沸いた3秒。

実際はエリザス。


2019年12月17日火曜日

ハナミズ

日付が変わろうとしている頃、一本の電話があった。
何度かこのブログにも登場している亡き塩屋監督の奥様ゆかりさんからだった。
もうすぐフラガールの仙台公演が始まるからと電話を下さったのだ。今の私に、タメになることをいくつか教えて頂き、話していくうちに今悩んでいることを打ち明けた。

「一つ一つ答えを見つけていくからお芝居だと思うしね」

フラガール東京公演終演後
ゆかりさんと

2019年12月16日月曜日

900円か1300円か1500円

「2000円くらいのクリスマスにプレゼント交換が出来るもの」というお代で
不特定多数の老若男女がなんとなく喜ぶというよりは使う、そして自分では買わないかも知れないものというものを探した。

色々お店を回り、だいたい最近のお洒落で流行りっぽい雑貨とか歯磨き粉とか歯ブラシとかhand washとか
900円か1300円か1500円かもうそれ以上かというのが大体で、組み合わせるか何か一つで見せるか、しかし一つで迫力のあるものになかなか出会わない。
たどり着いたKITTEにあるThe Shopの店員さんに相談にのってもらった。


と、これ



年末お掃除せーよということになってしまったが、the magic water は THE SHOP の店員さんも使い続けて4本目。
油汚れが本当に落ちるのだそう。

スポンジは食器用とお風呂掃除用がある。ゴムが入っていて洗剤要らずなのだそう。

https://the-web.co.jp/



2019年12月15日日曜日

茶碗蒸しとプリン

吉田羊さんが主演の映画「嫌な女」
を見ていて、永島暎子さんの台詞で好きな台詞がある。
「人はねプリンを食べているときは怒れないの」

プリンを食べているときは確かに幸せだ。
去年、長期のスペインロケがあった。初日の晩餐でご一緒した監督に「もし明日死ぬなら何が食べたい」という質問で茶碗蒸しかプリンと言った。

ハンバーグも好きだけど明日への活力を大いに感じる気がするから、自分のために
滑らかに。

本当に死ぬほど過酷な撮影であったことは一年経ったから言えること。

2019年12月14日土曜日

モンスターボール

昨日久しぶりの全体稽古でなんだか活力が上がった。
平熱35度台の基本的に省エネモードの身体ではあるが、自分の熱を知る瞬間でもある。
声は鼻声で、かなり低いことになっていた。
一度風邪を引くといつも鼻周辺が長引いてしまう。去年は後鼻漏(コウビロウ)という症状がしばらく続き、一体なんだと思いながらも名前がハシビロコウに似ているからまぁ良しとしていた。
やはり身体がしゃんとしないこともあってか朝6時に目が覚めてこのまま起きてなんやかんやしようと思うのだが、寒くて外に出られず。そこからディープな夢を四つ見た。二つしか確かな記憶はないけど実話に基づいてて情熱と、そして涙と、涙は夢と現実の境に何もなく、宮大工の素晴らしい手仕事のようだった。

風邪のお陰で色んなお誘いも断ることになっていたここ1週間、先程ウスタビガの羽化の動画が友人から送られてきて、一生懸命繭から出ていくので、私も外に出掛けようと思います。




2019年12月13日金曜日

僕は今毎日のほんのささいな出来事でも良いから毎日鹿日記を更新したいよ。

2019年の下半期はずっとアドレナリンを出しっぱなし状態だった気がするので、東京公演が一先ず終わって、2日寝て、起きて撮影に行き、自分の日常ってこうだったっけ?と思い出しながら過ごしています。
休む暇もなく仙台公演の稽古が始まり、
日本初のお城でコレクションが開催されるとのことで久しぶりにランウェイを歩き、タヒチアンダンスで鍛え上がった身体はとても歩きやすかった。だけどどんな風な心のポジションで歩けば良いのか自分の精神を探った。
撮影でもどんな表情というか私たちはお洋服を目立たせるお仕事であり、どんな顔をカメラに向ければ良いのか分からなくなっていた。
そんな戸惑いながら日々を過ごし、異常なまでに身体が熱く、稽古を早退した。

多分強制終了のボタンが押され、寝なさいよということなのだと毎日本当に魘されて起きる。特に夢を見た記憶もないけれど自分が「うーん、うーん」と言いながらその声で起きる。
ホラーです。

今日も元気に稽古に行って参りますが、
「ん」と「ま行」がよく鼻にかかかって響きます。


2019年12月11日水曜日

お母さん役

今回、お母さん役の方が変わって、全体のお芝居がグッと変わりました。
映画のフラガールでもお母さんの一言がもう胸に打ちまくって涙涙のシーンです。

稽古の時から何だこのお母さん。す、すごい。ともう毎回気になって気になって、芝居経験の少ない私でも、何かが違うとずっと思っていました。
そして本番を迎えたあとお客様からも「お母さん」という言葉がすごくて。。

お母さん役の生方さんとは絡みがなかったので
全然お話しできませんでしたが、打ち上げのあと少しだけお話ししました。
「私、ひろみちゃんの芝居好きだよ」
台詞の少ない私のお芝居を見てくださっていて、それだけで感動して、
この凄い人にこんな風に言われている私はやっぱりお芝居は分からんと苦しんでいた渦中でしたから。

もう終電も近くて私の想いは伝えられず、でもその次の日朝起きてもどうしても伝えたいことがあるって、生方さんにメールをしました。
気持ち悪いくらい長い文章で生方さんのお芝居に感動したこと、そして「ホンモノを見た」という、なんかもう居ても立ってもいられないこのソワソワした気持ち。私の中でお芝居には必ず何かがあるって思わせてもらったお母さん役生方さん。

優しい返事が返ってきたあと、生方さんと仙台公演で色々話す約束をしました。

まだ私の中で生方さんの情報は、
●二児の母である
●生方さんから塩塚さんになった
●うぶちゃんとかそんなんで良いよ
●高校生の時(?)つかこうへいさんに見出だされた人

生方さんのどうやってこういうお芝居になっていったのか凄く知りたい。


右上の生方さん


2019年12月10日火曜日

舞台 フラガール 東京公演 完

お久しぶりになってしまった鹿日記。
無事に東京公演が終わり、本当にたくさんの方にお越しいただきました。そしてたくさんの笑顔に会えました。
2007年に日本アカデミー賞をとった作品ともあって、ファンの方々も多い作品です。
映画の脚本を手掛けた羽原さんが舞台版に書き下ろし、演出も羽原さんです。

今回僕は本当にたくさんのことを学びました。
舞台、ひょんなことから始まって、今まであまり分からずにやっていたというのも事実です。
今回は再演ともあって、毎公演毎公演試させて頂いたことがありました。言い方ひとつで全然お客様の反応が変わり、めちゃくちゃなるほどと思いました。
羽原さんのダメ出しはここ3年ずっと聞いていましたが、やはりそれは体感して初めて分かることでした。
舞台って実はとても面白かったのだと初めて思いました。今まで本当に泣いたり泣いたり、悔しかったり怒られたり、物凄い言葉が飛んでくるお稽古ではありますが、稽古場でやっていることは数十パーセントのことだったんだ。お客様がいるから舞台が出来上がる。そう今回は思いました。そんな風に思えたなら、稽古もむちゃくちゃ頑張れます。

ラストのタヒチアンダンスへの3ヶ月半の腰振り稽古、本当に地獄でした。
この地獄を味わうと何でも出来るんじゃないかと思えるほど。
そして僕は新しい光を見ました。
背が高いこともあって、一番後ろのはしっこというのが何だか心身ともに落ち着くと思っていたけれど実は前で今回は踊りました。
それはそれは大きなプレッシャーと不安と、
だけど最後まで踊れなかった私を、ダンスの咲先生は信じてくれました。カウントもとれないリズム音痴の私に一生懸命あの手この手でしごいて下さいました。
もう感謝しかありません。

まだ仙台公演が残っているので内容は言えないけれど、まだまだ皆さんに伝えたいことがあります。

一先ず、東京公演ありがとうございました!


2019年10月22日火曜日

舞台フラガール 2019

昨年6月、大盛況のうちに幕を閉じた舞台フラガールが東京に帰ってきます!


昨日チケットが発売されたのですが、千秋楽の回と11/30(土) 15時の回が完売間近だそうで、毎度告知が遅くてすみません。

「フラガール」東京公演

11月26日(火)から12月1日(日)
赤坂レッドシアター
東京都港区赤坂3丁目10−9 赤坂グランベルホテル B1
赤坂RED/THEATER

●11月26日(火)19時~
●11月27日(水)19時~
●11月28日(木)15時~
●11月28日(木)19時~
●11月29日(金)15時~
●11月29日(金)19時~
●11月30日 (土)11時半~
●11月30日 (土)15時~
●11月30日 (土)18時半~
●12月1日(日)11時半~
●12月1日(日)15時~

前売り価格3300円

ご予約はこちらか、お知り合いの方は私の方にご一報頂ければと思います。

相変わらずダンスの出来ない私は苦戦していますが、やればやるほど学びの多きこと。
4ヶ月間の稽古の末、更なる挑戦です!

2019年10月14日月曜日

台風と二匹の鳩

大きな台風がやって来て、
家で1日じっとしていました。

父からLINEにメッセージが来ていたり、母から電話があったり、私もあの子のお家は大丈夫かと思い付いたところに連絡をしたりました。

こういう時にいつも何と言えば良いのか分からなくて、色々な情報から現状を見ています。


生きていて阪神大震災を経験したり、東日本大震災を経験したり、こんな大きな台風がやって来て、いつも安心できるのは人がいることでした。全然知らない人だけど同じ恐怖を感じてお互いに生きてて良かった、生きて今あなたが隣にいるってことを実感してるのが伝わってくるというのが何度もありました。

阪神大震災は奈良はそこまで災害が酷くなかったけれど朝寝ていて、大きな揺れが何か全然分からなくてダンプカーか何かが家に突っ込んだんだって思って、初めて地震という言葉を知った。
東日本大震災が発生した時は同じ事務所のゆりちゃんと有楽町のビルの地下でご飯を食べていた。
大きく揺れて、テーブルの下にゆりちゃんと潜って、あまりにも大きな揺れだったから本当に心から祈った。
そこから皇居が近かったので揺れが収まったと同時に一緒に皇居の方まで走った。
たくさんの人がそこにやって来ていて、幸いにも当時の家がそこから近かったので
ゆりちゃんも泊まってもらって何人か帰れなくなった友人たちにもお家に来てもらった。
次の日、私は実家に帰る新幹線に飛び乗った。新幹線は同じ考えの人達が多く乗車していて、私は2時間10分ほど、号車と号車の間のところでじっと立っていた。そこにもたくさんの人が居て、お互いに、時折差し込む光に、生きているという実感を分かち合っているようだった。心が漂っているような空間だった。
本当はとっても優しくて、話さなくたって、優しい心があるの分かる。
毎日の毎員電車の方が幻なんじゃないかって思う。

美しい日の光を浴びて空気をすって、今はめっちゃ銀杏の香りが凄かったけど、
朝起きて何が食べたいか、近くの美味しいパン屋さんのパンが食べたいって、やってるか分からなかったけどお昼過ぎに行ったらやっていて大変なときにこうしていつもと変わらずパンを作って下さっていたことにも感謝して、公園のベンチで食べた。そしたら鳩が寄ってきて、
「こんな嵐の中、君はどこに居たんだい」とよく何事もなくあの嵐を外で忍んだと思い、いつもならあげないけど今日は特別に少しだけパンを一緒に食べようと二匹の鳩くんとパンを食べました。

2019年10月7日月曜日

MARIANO FORTUNY展での出来事

先日、MARIANO FORTUNY展に行きました。

入って一つ目の部屋にとても素敵なドレスが飾ってあって、暫く眺めていました。

次の部屋に行く小道の途中で
ご婦人に声をかけられて、
「あなたモデルさん?あの服が着れるようにこれからも精進なさいね」と数分間、熱い言葉で語りかけて下さって

「着れるように。」しばし考えました。
お仕事では、自分が買えないようなお洋服やジュエリーを身に付ける体験をさせて貰って、

かつてジャージと制服と、小学生の時はプーさんが好きだったのでプーさんのTシャツにピッタリの黒スパッツ(短め)で一輪車を漕いでいる時代があって
いつしか自分の意志で着るということが、それ以来あったのだろうか。
自分の好きな服って実は一体何なんだろう。
モデルではない自分が着られる服って何だろう。そして精進して着る服っていうのがとても興味がある。

今舞台のお稽古をしている最中で、
ハンガーにかかっていたワンピースが可愛くて誰のだろうって思って見ていました。

稽古後
「さんちゃんのだったんだね」
「私っぽくないんですけどね」
というような言葉が返ってきたような、
それでも着たいと思って買うってことがかなり重要で素晴らしいことだって思ったんです。そして、ぽくないことないし。

「お洋服を着る」
ってそこに本人の意志があるはずなんです。
私はあるご婦人の言葉から、これまでお洋服はたくさん着させて貰ったけれど、自分の意志はそこにあったのだろうか、何だか意志を持って着るっていうことをトライしたいと思えたんです。そこから街で目に入るものに対して見る目も変わったかもしれない。

「着れるように精進する」って凄い言葉よ。

MARIANO FORTUNY展での大きな学び。


2019年10月4日金曜日

20年越しの

とっても嬉しいことがありました。
私は中学時代ソフトボール部だったのですが、
そのソフト部時代にめちゃくちゃお世話になった2つ上の先輩からインスタでメッセージがありました。

ピッチャーというポジションで、1年生を3年生の先輩がみるというのが代々の決まりでした。
その先輩に20年越しに改めて感謝を伝えられました。

まだ先輩がいた頃はヘナチョコボールしか投げられなくて、自分の代になって、色んな景色をみられるようになってから一番感謝するべき原点の先輩はもう卒業していらっしゃらなくて。

顧問の先生はめちゃくちゃ怖かったけど唯一その先輩の努力する姿をほめてはって、
坂ダッシュに朝晩の外周、
その最後に少しの時間一生懸命私にピッチング教えて下さいました。

そんな先輩から20年越しって。こんなに嬉しいことはないです。
インスタの使い方が未だに分からなくて来年になったら辞めようかなと思っていたのですが、こうやってお久しぶりの方や応援して下さる方がいるのだということをもっと認識して、感謝をしていけば良いのだと思えました。

本当にありがとうございます。




2019年9月27日金曜日

舞台稽古


11月末の舞台に向けてダンス稽古が8月から始まっています。



舞台に出るようになってからダンスというものをやるようになって、最初は楽しさも楽しみ方も分からず、何が分からないかもわからずやっていました。漸く少しずつですが、今日のトライを考えながら稽古に向かえるようになって、まだまだですが大変な稽古も楽しみを見つけながら行くことが出来ています。

昔から後ろの端っこというポジションが心と身体に染み付いてしまっていて、
今回の稽古で初めて先生の斜め後ろで踊らせてもらいました。
先生の空気や呼吸を感じられて、1つの曲の最後には踊っていて全身から喜びが溢れ出ました。感動をしてしまった。
そこからかも知れない。漸く、もっと上手に踊れるようになりたいって思えたのは。

高校時代のバスケも、モデルのお仕事もそうだったのかなぁ。
最初はひょんなことから始まって、ルールも分からずやっていて、あるきっかけからいつの間にか目標を掲げるようになった。叶えたい夢もあって、挫折して、絶望して、力が抜けて多分そのあと少し優しくなって、また歩きだして。。続けていると色んなことを教わった。
だからやり続けられたのかも知れない。
明日もがんばるんば



2019年9月22日日曜日

人形町~小伝馬町~浅草橋 散歩編

素敵な日にしようと思って出掛けると必ず起きるのが、道でバッタリ偶然に人に会うことや、何だか吸い寄せられるようなお店に出会うこと。

お稽古もあって、なかなかゆっくりする時間がない分、土曜日をスペシャルな一日にしようと思って、土曜日が待ち遠しくて。

先週の土曜日のことになるけれど
友人と、水天宮前駅と茅場町駅の間にある
ロットチェントに行きました。

何度か行ったことがあるのですが
お昼はパスタメニューで、夜はまた美味しいお食事がたくさんあります。メニューがとても親切で、明るく楽しく過ごせるカジュアルなイタリアンです。

そのあと小伝馬町の方へ足を伸ばし、土曜日だけオープンしているHystさんへ


こういうものだとだいたいこれくらいするという予想よりも躊躇のないお値段になっていて、
タイミングが良ければ気持ちよくお買い物が出来ます。


その近くの美味しいパン屋さん

ビーバーブレッドも忘れずに。

そこから浅草橋に足を伸ばし、浅草橋界隈も本当楽しいです。今回はずっと行ってみたかった白日さんへ

疲れたらこちらへ
葉もれ日さんです。
チャイが本当丁寧に作られていて美味しい。以前もブログに書いたことがあるかと思います。私はコーヒーが飲めないのですが、コーヒーもとっても美味しいのだそう。
何だかゆっくりしたいなという時はここを毎週のように思い出している気がする。

まだまだ紹介したいところがたくさんあるのですが今日はこの辺で。


2019年9月21日土曜日

素敵な土曜日に

なんて清々しい朝なんだろう。
清々しい朝にお香を焚いて静かに過ごす時間が
今日これからがとても良い日に向かっていける気がする。
前回もご紹介したかもしれない
Tokyo Kodoさんの朝露という香りです。

tenさんに新しいお香が入荷されたとのことでまた近日行きたいなと思っています。

さてさて今週は毎日とっても楽しかった。
自分の楽しかったことを振り替えるのに、やはりどこで写真を撮ったかを頼りに、でもある意味記録的なことになってしまって本当に楽しかったことはもっと別の、人々の表情として心に残っている。美味しいものに出会ったとき、誕生日を迎える人がいたり、出来なかったことがだんだん出来るようになった人がいたり、その人たちの表情が思い出されて、良い一週間だった。

私は最近土曜日は自分が気になっていたところや、好きなところに行くと決めていて、あっという間に土曜日になってしまった。
どうしようかなと今鹿日記に書いていたら
行きたいところが思い浮かんだ。

素敵な土曜日にしよう。
しましょうね。

2019年9月20日金曜日

僕の鹿日記

ブログでは好きなことを書いていたけれど
初めて文を納める仕事をしました。

ORJ 2018AWの写真
Ph 普後 均

https://www.premium-j.jp/premiumsalon/20190913_3286/

この寄稿にあたり、ISSEY MIYAKEの過去を探るべく分厚い資料を借りに行った。
本当に持って帰るのかという図書館の方の眼差しに、意志かたく両手で抱え、持って帰った。

1986年生まれの私が1970年代からパリのコレクションで活躍されているISSEY MIYAKEさん、のHaaTの新ラインORJについて言えることなどあるのだろうか。

1つページをめくり、また1つ
私の知らなかった世界が広がっていた。
こんな素晴らしいブランドが日本にあるということ、写真は素晴らしく突き抜けていてお洋服は最高である。

そんな中ISSEYさんの言葉でいくつか書き留めたことがある
「洋服も日常生活の衣食住の1つで、着る人の生活やパーソナリティーからかけ離れていては意味がないと信じております。そこで私は日本の生活の中でみがかれてきた素材で動きやすくしかも自然なからだの美しさを生かす洋服づくりを心がけてきました」


ISSEY さんがデザインで大切にしていること
「素材と技術、驚きと愉しみ、歴史と未来」


ISSEYさんの願い
「衣服以上の何かを着てほしい」



ISSEY MIYAKEデザインを経て独立をされたデザイナーさんに何人かお会いしたことがあるけれど、どこか服づくりで共通しているところがある気がすると思った。そしていつも着る人のことを考えてつくっているという愛情が、着ると大きく伝わってくるのだ。

正直、色々と削りすぎてしまって文章はまだまだだった。けれど何週間か1つのブランドのことを思い、それをどうやって伝えるのか、そしてあがってきた文章を改めて1人の読者として読んだときに課題が見えて、もっと勉強したいと思えた。素敵な写真と素晴らしいブランドを改めて知った。
写真ってこうだよね。いつの時代にも果てしなく素晴らしい感情が沸き出る。お洋服愛してるよね。って凄く思えて。
なんかとっても良い時間だった。

ISSEY MIYAKE HaaT 広報の和彩さんにも相談にのって頂いたり、改めてお洋服をいくつか着させてもらったり、ORJチームの方々の愛情は撮影でも物凄く感じた。

ORJはハンガーにかかっている姿も美しいけれど着るともっと伝わってくるものがある。

これからもここで伝えられることは伝えていけたら良いなと思います。
僕の鹿日記

2019年9月19日木曜日

ダンス稽古

鹿日記を久しぶりに書いてみようと思えた。
とっても清々しい朝だから。

最近は8月から舞台のダンス稽古が始まって心も身体も忙しくしているとなかなか落ち着いていられなくて、いつもとは違った食べ物だったり映画だったりを見てしまう。

多分なのだけど、どこかで自分よ頑張れとパンチのきいたものを与えているような気がする。去年の舞台稽古の時はひたすら「エースをねらえ」を読んで、主人公の名前がひろみ(同じ名前)だからお蝶婦人や宗方コーチに色々言われながらも立ち上がっていく様を自分も立ち上がるつもりで読んでいた。

本番事態は11月末なのでまだまだとは言え、やはりいつもの日常と違うスケジュールが入るとどうしてもソワソワしてしまう。

でもこうして鹿日記を書くことで、自分の今の状況だったり心の変化を自分自身で追うとだんだん冷静になって、書き終えた頃に一歩歩くときっとリフレッシュしているんだろうなとも思う。


お仕事も最近は新しいことにも挑戦しつつ、勉強しつつ、出来ないことも多くて何回もゴロンと天を仰ぐことも多いのだけど、その分まだまだ知らないことが多くて感動しています。

昨日、初めての舞台でご一緒した友人に久しぶりに会って、彼女は相変わらず誰かの何かでもなく、認めてもらいたいとかそういうことでもなく、自分の好きという気持ちだけで挑戦し続けていて、本当無敵のエネルギーだったよ。

挑戦っていくときはいくけど若干足がすくむぜ

2019年8月20日火曜日

雨の日の文

今日は雨だ。
久しぶりに雨の音が心地良い。
この前奈良に帰った時は、ちょうど大きな台風だった。私は天気予報を昔から見ない。
だからいつも朝起きて、カンカン照りに温くなったリビングに行き、心の中の第一声が「暑い」だった。それも久しぶりに「ん?」とか「ぬ?」とか光の大きさも違ったのでどういうわけかカーテンを開けたらちょうど良い雨の量だった。

最近はやることが山積みに押し寄せてきて、それに合わせて暑い暑いとはいえ、皆とても活動的だから色んなお誘いがある。
さすがに全部は行けないけど、行けるものは少しでも行くようにして、久しぶりに会う人も、初めてご縁が繋がる人も、どんどんその人の魅力に気が付いていく人も、たくさんいる。

私は心がそんなに器用ではないので1つの出来事を整理するのに多少時間を要する。
これを自分自身、若干複雑に思ってきたけれど今ではそれを大事にしようと思う。
夏休みは終わった。
この鹿日記も、そうだなぁ、、嫌々始めたという訳ではないが、社長のじゅんこさんから「ブログを続けなさい」とのお達しがあって、最初は必ず一週間に一回、そして、投稿をする前にチェックがあった。多分半年か一年か、それを続けてある日、もう事前チェックをされなくなってこの自由な鹿日記が出来上がったわけだけども。文章を書くって、最初は本当に難しかった。写真一枚あげるのも随分ダメ出しをされた。この言葉はなんとかとか、だけど一番個性というものは大事にしてくれたんじゃなかろうか。即興で見直してもいない文章をいつも面白がっていたから。
今では一先ず思い付くことをツラツラ書いて 
暫くして見返して、やはり読者がいるのだということは考えて、直すときもあれば、何か自分のことだけではない時は、何度か考え直したりもする。
10年ほど続けたお陰で文章に恐れることはなく、自分が端的に言いたいことを纏めようとする力はついた気がする。
私は頭でぐちゃぐちゃ考えてしまうところがあって、多分整理整頓のためにじゅんこさんが始めた方が良いと言ったのだろうか。
分からないけれど、10年続いています。

そうこうしているうちに雨が上がって、セミの大合唱が始まりました。朝から自然の音がなんて心地良いのだろう。

2019年8月8日木曜日

夏の笑顔

連日暑いけれど皆暑いからなのか
お魚屋さんに行っても、
鶏肉屋さんに行っても、
パン屋さんに行っても
「暑い中いらっしゃい」といつもよりウェルカムな感じがして、
鶏肉やさんのお姉さんとは鶏肉のお話しかしたことなかったのにピアスが可愛いですねと言ってもらって、初めてお姉さんの笑顔を見た。

ご夫婦でされている魚屋さんのお父さんの方はいつも魚を無言でさばき続けていたけど私がこんにちはというとちょっとだけ笑ったように見えた。

パン屋のお母さんはいつもお金の勘定がめちゃくちゃ丁寧で、  店内で物凄く暑そうにしていて、お会計をする場所の裏に釜戸があるのだと教えてくれた。

暑いけど、なんか皆の笑顔と、会話で物凄く幸せな気持ちになった。


2019年7月31日水曜日

時の流れを受け入れるようになった。
最近不思議なことに、とんでもなく忙しいとかそういうことではなくて、一つ一つを噛み締めるようになった。

恐らく今までも何度か立ち止まって考えることがあったと思う。
鹿日記も、これをテーマに書きたいと何度も試行錯誤して1ヶ月くらいのものを集約したものもあれば思い付いた一つの文書から何が言いたいかと解を求める場合もある。

自分が何者なのか、それは小さい頃からたまに考えることがあった。そのことは、色々な人生の出来事を通して明るみになっていったり、もちろん現段階で分かるはずもなく途中である。

東京に来て10年が経った。この期間共に同じような点で重なりながら仕事をしてきた人たちがいる。
一点からまた期間を開けてまた一点。

とても不思議なんだけど、再会する度、今自分の中で感じていることや考えていることが同じなのである。10年という間で自分でも色んな自分を見た。
でも時の流れを感じると、今そこに行き着いてしまったのだと。それはこれまでの最大限の試行錯誤と時代の流れをみることにあったのかもしれない。そこから自分の中での開示や、つきあい方その辺りも少し前よりは分かってきたりする。
そして多分それを踏まえてまた大きな新しいことに挑戦することになるんじゃなかろうか。次の10年に向けて。

この文章を朝に書き、今夕方に見ているのだが、自分が書いてるのにどの隙間にこんなことがやってくるんだろう。
もっと鰻のこととか、奈良のこととか書きたいこといっぱいあったはずなんだけどな。

2019年7月13日土曜日

久しぶりに奈良に帰ってきました。
東京はずっと曇りか雨だったので関西に着いた途端なぜ傘を持っているんだろうというくらい晴れ晴れしていて、それだけで見ているものや、自分の心の中にあったものへの考え方も違った景色に見えました。

最寄りの駅から実家までタクシーに乗って、
関西についてタクシーの運転手さんが一番最初に喋った人でもあるので、ずっとペラペラ話をしていました。
最近タクシーの運転手さんと話すことが増え、そしていつも良い会話になるので、めちゃくちゃ大きな声で何度か有難うございますといって降ります。
今日も「疲れましたらいつでも帰っていらしてください」と最後仰って下さって、穏やかな気持ちになりました。

こんな夜中に思い付いたことがあって、文章を始めたはずなのに何を書こうと思ったのか忘れてしまった。。
序章で今終わった感じですが、タクシーの運転手さんと最近こういうことがあったということで一先ずおわりにします。

今こんな夜中に椅子に座って本を読んでるのですが、工事の音も車の音も何も聞こえない自然の音の中で、これが凄く良いです。

2019年7月10日水曜日



最近自分でもびっくするのだが口にするものが変わった。これには多分、ペルーが与えたものが大きかったんじゃないかと思う。

元々小さな頃から思いを馳せていた『ナスカの地上絵』が見たいという情熱からペルーに行き、8人乗りのセスナ機で30分ほど飛行しながら見た。

私の胸の高鳴りは『今から出発します』という時がピークだった。
なぜ自分でもそうなってしまったのかは分からないけれど、ずっと見たいと情熱を注いでいたものを実際に見てしまい、その情熱がどこかに行ってしまって、降りた頃には空っぽになってしまった。

そのあと予定には入れていなかったマチュピチュに行ったのだが、こちらの方が実は感動した。
マチュピチュはどこから見ても皆が写真で見るマチュピチュで、どうも建物的に争いが多いというような建物には見えなかった。
標高も高くて回りが断崖絶壁だから、そんなに攻められることも無かったのだろうけど、時を越えても何だか平和な笑い声が聞こえてくるかのようだった。
そっちの方が気になって、帰って1ヶ月間、インカ帝国についての著書を読み漁っていた。
文字のない文明だったためにその時代の記録はほとんどないのだが、後にインカを侵略したスペイン人やインカの末裔の人達が記したものに
『インカは食糧や衣服を公平に分け、病人や老人も安心して暮らせる福祉国家だった』
そして時を越えて研究者は
『アンデスの厳しい自然は到底一人では太刀打ちが出来ず、アンデスの人々にとっての豊かさは財産をたくさん持っているということより、力を借りることのできる人との繋がりをたくさん持つことだった』

皇帝が、働いてくれる人たちに先にたくさんの報酬を与えていたというのも書いてあった。
「与える文化」であり「ミイラ文化」
この2つが私のなかで大きくインカ帝国について刻まれたことだった。
ミイラについてはここでは語りませんが、
そういうことが時を越えてもなんとなく建物から感じるって凄いなと思った。

そんなことから十分に食糧も豊富であったペルーでの市場ではアマゾンからやってきた食材のエネルギーに圧倒され、実際にアマゾンに行った人の話を聞くと、植物や木々が蠢いてるのがわかり、生命力に溢れている。そして自分は地球の一部なんだとアマゾン川で思ったのだそう。

そこから日本に帰って、自分の口にするものやお野菜を見るようになった。奈良のおばあちゃんの家がお米も野菜も育てていたようなところだったから、朝畑からとってきた野菜をお味噌汁に入れて食べる。

長らく東京に住んで、自分から四季を感じないと日常から聞こえてくる音や香りや風の温度で季節がよみとれなくなってしまった。
定期的に奈良から旬の野菜が送られてきた時は、段ボールから光が漏れてるんじゃないかというくらい輝かしい野菜たちが届き、
もう一度今自分の身体が欲しているものに気付こうというか、自ずとペルーに行って気付かされた。

ナスカの地上絵が見たいという小さい頃の夢は、大人になってもう一度自分の生活を、毎日を作るものを思い出させてくれた。

今日は初めて黒豆を買って煮てみた。
こんなに時間がかかるとは思わなくて、でもこの硬い豆の中にはたくさん力があるような気がしてならず、お汁も大切に頂こうと思った。

2019年6月27日木曜日

葉もれ日のチャイ

今日は何かと集中できないでいる。
暑いからかな。
最近の日課は朝起きて好きなお茶か、理想はハーブティーだが、あまりまだ分からない。
僕はチャイを教えてくれる師匠がいるのでだいたいはチャイを飲む。
師匠に出会って、チャイとはこういうものだったんだと知ってから、なかなか美味しいチャイに出会わない。

ある日、flake jewelryの吉岡さん、細山さんのアトリエに遊びに行った時、「この前新しいカフェに行った」と連れて行ってもらった。


私が前にチャイの話を熱弁していたのを細山さんが覚えててくれて、
「ここチャイある」と3人でチャイを頼んだらば、美味しかった。
本当にしっかり作られているのが分かって、(すみませんこんな風な言い方をしてしまって)
牛乳臭さもなく、茶葉の開きというか、ムクーーっと非常に美しく感じた。
それに感動して、ついつい奥さんにその感動を伝えてしまった。

それもこれも多分知らず知らずのうちに師匠のチャイの教え込みからか、なんとなくいつの間にかチャイを飲んだときの風味や味で頭のなかに絵が浮かぶようになった。
一週間経っても二週間経っても葉もれ日のチャイ、また飲みたいってずっと思っている。



2019年6月22日土曜日

子供の頃の記憶

今週一週間ほとんど東京に居なかった。
東京を離れて大自然の中にいたのに、撮影となるとどこにいるのか分からなくなる。自然の中にいることを忘れて、それよりもその服を着てる人が感じてることだから、自分の奥底の感覚は隠れているのかしら。
撮影が終わり、服を脱いだとたんに、そこのにおいが一気にやってくる。私は随分遠くに来ていたんだなと。

寝てるのか寝てないのかロケバス移動の日々を過ごし、漸く東京の家に帰って来た。しばらく落ち着いていなかったせいか帰りたくない気分になって、あっちへウロウロこっちへウロウロ寄り道をしようとするんだけど全然行きたいところが浮かばず、思い出した。

ずっと気になっていたところへ行ってみた。
隅田川沿いにあるten
前も行こうと思ったんだけど、なんか途中で足が向かなくなってしまって、今日やっといけた。
中の空間だけ全然違う空気が流れているようで、多分疲れていたのか吸い寄せられるようにお香を手に取った。

店主の方がたくさん説明をしてくれて焚いてくれた。
10_tokyoさんのインスタグラムからお借りしています。
Tokyo Kodoさんの朝露という香

朝露という名前も非常に気に入って、奈良のおばあちゃんちに居たときの小さい頃の記憶が甦ってとても緑が綺麗で懐かしかった。




2019年6月16日日曜日

蜘蛛の巣の涙

KINFOLKをたくさんの方々が手にとって下さって、私の方にもメッセージを頂いたり、ありがとうございます。

こんなことがあって、人生って不思議だなと空をポカンと眺めることがあるのですが、
私は20代の時漠然と、モデル=海外でコレクションを歩くということだと思っていました。
奈良で22歳まで育ち、奈良でモデルと言ったらファッションのテレビで、長身の方々が素敵な衣裳を纏って腰や肩をグネグネガンガン揺らしながら出て来ては静かにこちらに歩いてくるという印象がありました。
これがモデルってやつかと幼いながらに思った私自身は目立つことはそんなに得意ではなく、一つのことを黙々と一日でも二日でもひとりでやるようなやつでした。

そんなところから何年も先にひょんなことからモデルになるわけですが、
モデルという、私の頭の中にはそのテレビで観た映像がずっと残っていて、東京に来てなかなか普通に過ごしていてはそんなチャンスなんて訪れることもなく、現実と自分の意識とかけ離れていました。
その流れを断ち切るために海外に行くのだという強い意志で動き始めてから、回りの人には無理だと言われても、心の中では信じてやまずに海外に行くことに挑戦しました。

24歳だったかと思います。全然うまくいかず、パリでも事務所の門前払いに何度あったか分かりません。
とぼとぼとパリの街を歩き、自分はもう、コレクションを歩くようなモデルにはなれないんだと思って、日本に帰り、また日々を過ごしていました。
前の自分とは変えたくて色んなことにも挑戦しましたが、心にずっと残っていたのは小さな頃からの夢だったコレクションでした。

日本でも仕事もなく、ある人の死が私に大きなショックを与えてもう一度海外に挑戦することにしました。その時26歳でした。
モデルとしてはかなり年齢としては遅いですが、きっとこれから先もこの気持ちをぬぐいされない気がして、自分で納得をするために向かった、今度は国を変えてイギリスに行きました。

そしてイギリスでも大手のselect model managementというところと契約を結び、
本当に夢かと思いました。
しかし入れても、ここからが本当に苦しかった。
私の多分性格上の問題もあって、本当に今の自分からいうと、あの時こういう考え方を持っていればとか、本当肩をチョンチョンしてあげたいくらいです。

20代後半はイギリスと日本を行き来して、イギリスでは本当に精神がギリギリのところで過ごしていました。
そんな自分の写真を今でも自分のモデル人生で最も大切な写真だと思っています。

あの写真は今じゃ出せない、
あのときのイギリスの写真は恐らく世界でも注目されていたフォトグラファーが多かったと思います。HarleyやLena(今でも素晴らしいです)
あの時に撮った雑誌の中のヴィトンのクルーズコレクションの写真。
あのときがもうまさに自分の精神がギリギリのところに来ていて、その3日後かに日本に帰る時の写真でした。

(事務所のホームページより
Photography by Lena.C.Emery)

今でもこの写真を見るとあのときの胸にザンっと傷をおったような気持ち(撮影ではなく日常)を思い出せるほど爆発的なエネルギーを持っています。

(事務所のホームページより
Photography by Lena.C.Emery)

そして何年か経った今、KINFOLKの撮影の時にアートディレクターのKevinが「Lenaとの写真を見てから、ずっといつかHiromiと仕事がしたいと思っていた」と伝えてもらって、もう本当何年も前の写真よあの写真。
だけど誰かの心にずっと残っているものをあの時に撮影できたんだって思うと、本当精神はギリギリだったけれどあの頃の自分によく耐えてくれたと言ってやりたい。
本当にありがとうって言ってあげたい。こんな人生が待ってるなんて。

(KINFOLKの中のページ)

最近、色んなことを思うの。あーでもないこうでもないって。自分を試すことが増えた。
20代は頑固にこうだって思ってた自分があったし、だけど今はそうじゃない。
何が今現場で必要かということも、チームを信頼して任せるところを任せて、出るとこは出て、
もっと楽しんでやって良いって。
ちょっとこういうことを言いたかった訳じゃないんだけど頭にフワッと出たことが新しくてあとに続く言葉が出なかったうちにどこかへ飛んでっちゃった。本当言葉は刹那的だわ。

お洗濯ものもできた音が鳴ったし多分集中力も切れてきたのでこの辺で今日は思出話になっちゃって申し訳ないけど、すみません。思い出せて良かった。

2019年6月12日水曜日

とりとめもない話をします。
好きな食べ物の1つにハヤシライスがあります。
この前友人と念願の五反田にあるグリルエフのハヤシライスを食べました。1時50分頃に訪れたもので、お腹も空きに空き
ハヤシライスが出るやいなや直ぐ様口に運ぶ。
なので写真はないが、
今の時代インスタバエという時代のハエがあちらこちらで発生しておりますが、少々そういう感じからも少なからず遠かったグリルエフさんのハヤシライスは心から舌に染みた。

14時のラストオーダーも間近、大好きなカニクリームコロッケも頼み、足早に過ぎ去ってしまったおランチだったが、最近の一番美味しかったものである。

2019年5月31日金曜日

26杯目

舞台「思ったことはなかったです」
大人の麦茶第26杯目公演を観てきた。

朝起きてから
この舞台を今日は観に行くのだと
それだけで1日がずっと楽しみだった。
座席に置いてあるこの白い紙を開けば、
脚本演出の塩田さんから劇団員の方々や座組の皆さんへの愛のこもったメッセージに胸が熱くなった。

2時間10分、じっと聞いて見ていた。

家に帰って山椒の実を小枝から外しながら舞台を振り返って、
もう大切な人よ皆長生きしてくれって思った。

2019年5月29日水曜日

音楽って凄いなと思うことが増えた。
ずっと見たかった『楽聖のベートーヴェン』
ご本人の人生と、その時の心情が音楽になってて人生になっている。


いつか思ったことがある。音符が読める人は音符で会話が出来るのだろうか。数々の著名な人たちが残した曲の全体のこの音が
『隠された作者の本当の心情』
みたいなのとか。

私は専ら学生時代に国語と音楽が苦手で、国語のセンター試験の問題ではいつも困っていた。
ある日どうしたら国語ができるのだと、いつも満点に近い数字を叩き出していた友人に聞いてみた。
『質問を読むと答えが浮き彫りになる』
もうその時の想像の記憶しかないけど、その部分の文字だけが凸の形で浮かんで(もはやウネウネ動いてる)見えるのかと。

まぁ、そんな現象を未だかつて感じたこともないのだけど本当国語だけは色んな人の言葉が蘇るわ。

人と人を繋いでくれるものだったり、何て美しい表現が、そしてそれが自分の頭の中に思い描かれる光景。あとは撮影に当たっての世界観の共有とか。

音楽の方が世界観の共有としては現場で、「この雰囲気で」とカット毎に選曲されているときもあって、どちらかというとその方が私には分かりやすい。一枚の写真にはある女性(女性像)がその服を纏うということのストーリーと人生がある。
それが絵として見る人の方にやってこないと成立していない。

そもそも音符を読むという感覚ではないのかな。私にはその世界はわからない。

今1時間近くかけて第九を聞いています。


2019年5月27日月曜日

それまでの日

ずっとアロエベラの話になりそうだったのでたまにはお仕事の写真も載せようと思います。

日本は6/1に発売のKINFOLK


表紙です。表紙
表紙ー!?なんと名誉なことか。

しばし届いた雑誌を握り締め、いつもだったらページを捲るのにずっと握っていたよ。
重みのある雑誌にまざまざと実感が湧いて、
良い仕事が出来たんだと。

本当最近は専ら本を読みまくっている。なぜならば、ずっと写真やモデルのこと、仕事周辺のことばかりしか話が出来ないことに気がついて、色んな方々と出会うようになった30代に今までの20代の経験したことしか話せなくてかなり偏っていると思った。
それはそれで素晴らしいことなんだけど、やはりもっと色んな質問も、その人からの話をたくさん聞きたいから、もっと色んなことに興味を持っていきたいと思った。興味をもっていきたいってそもそも違うのかも知れないのだけど私には意図的にそうしないといけないところがある。

そして気が狂ったように読み漁った5月。週に6冊というペースで読んだ最初は。最後の方は難しい言葉が出てきたり書き留めたりしてえらく時間がかかった。
でもまだ自分に興味のあることがこういうことなのだと本の得意不得意も感じながら読み進めている。

そうしているうちにまた新しい人に出会い、今何を思い、何を考え、何が問題なのか、そんな話を聞いていると薄い光が入る瞬間があって、その瞬間に自分が居られたことに今日1日の上からスポットライトがちかりと当たる。人生の小さな点みたいなもんで。
そしてまた本を読む。

2019年5月25日土曜日

sabilaの最初のaの上にダッシュ

アロエベラを手に戻った私は
『次の日の朝、アロエベラでジュースを作る』
という一大イベントを抱えて寝ることにより
次の日に目が覚めるのが待ち遠しかった。

この日の夕方に、関西に居たときに大変お世話になったウォーキングの先生が東京にいらっしゃるとのことで、久々にお会いした。

『山村ちゃん、今幸せ?』と、
先生らしいというか、今幸せ?ってあまり聞かれることが無かったからビクついて(笑)
しかも今数々の哲学者が幸せということについてといている人生論の本もたまたま読んでいて、
小難しい覚えたての借りてきたような言葉が浮かんだけれど、明らかに秒で出たのは

『今朝入刀を果たしたアロエベラの話』

朝起きるのが待ち遠しかったこと
ペルーのお母さんのアロエベラの切り方を真似したこと
入刀後アロエベラのヌメリが凄かったこと
味が少々苦くてこれから食べるために、研究の余地があるということ

先生にアロエベラについて楽しそうに喋っている自分に気がついて、夕方の光が眩しくて溶けそうだった

一年ぶりに会ったのに私は先生にずっとアロエベラの話をしてしまったわ。


2019年5月24日金曜日

アンデスの勇者

アロエベラはどこで買えるのだろうと思っていたら見つけてしまった。

北千住から竹ノ塚駅行きのバスに乗って8つ
島根町という駅で降りて向かったcottoさんというカフェの店主に会いに行った帰りに、
北千住のルミネの食品売り場で。

普通に野菜コーナーのわさび菜とか置いてある葉物コーナーに一緒に鎮座。
葉物というかアナタ剣のようだったわよ。

右手の装備がアロエベラに変わり
後ろを振り向いたらば、アンデスメロン。
左手の装備がアンデスメロンに変わり

勇者か哲学者や

スーパーの袋からはみ出た剣を持ち帰り、クスコのお母さんのように逞しく明日の朝入刀したいと思います。



2019年5月22日水曜日

アロエベラで乾杯

食の変化とは先ず毎日の朝御飯が変わりました。


ペルーの首都リマにあるSurquillo市場に行き、そこでたくさんの食材を見ました。


今畑で採ってきたような芋や、『産地直送』という言葉がまさにの果物達。
トマトもジャガイモもトウモロコシもこのアンデスが原産。原産地直送です。
アマゾンからやってきたエネルギー溢れる食材にも圧倒され、感動し、自分の口に入れるものは自分の感覚で良いものを選ばないとと思うようになりました。

リマから飛行機で1時間半ほどの街、クスコではサン・ペドロ中央市場でフレッシュジュースを頂きました。


作っているお母さんの横でじっと作り方を見ていましたが、アロエベラの皮を剥いていて、
今だかつてアロエベラに包丁は入れたことないなと思いながら3種類ほどの果物が入ったフレッシュジュースを頂きました。果物が果物であるという心に感動をし、こんな素敵ものが自然の中に現れて数々の人々の喉を潤したのかと思うと感謝しかないです。

そんなことを思って、ペルーから帰って、かかさず3種類の果物を使ってフレッシュジュースを毎朝飲んでいます。

今度スーパーでアロエベラに出会したら感動で友人宅に手土産として持っていくかもしれません。




2019年5月21日火曜日

ウーパールーパーミャオ

そして旅の話がこれからしばし続くであろう鹿日記。

旅から帰ってきて、決まってやることは身の回りの整理である。
これはいつもの傾向なのだが、この度も思いっきり色んなものを整理した。

引き出しに無意識に入れていたもの、ファイルに挟んでいた色々な書類。
一つ一つに目を通し、何がどこにあって、何を所有しているのか自分で自分のものくらい把握しようと。

何年も使わずに置いていたものはこれからも使わない。いつか使うとかいうのは無しにして。
そうするといつも思うのが案外モノはなくても生活が出来るということ。

ペルーへもバックパックで行くくらいだからそんなに身の回りにたくさんのものは必要ないと思っている。

これはもうそろそろ新しくした方が良いとか判断がとても早かった。
今の自分に合ったものに新調して、これまで一緒に過ごしてくれたものに感謝をして、また新しく始めています。


2019年5月20日月曜日

トロピコ

だいぶとご無沙汰になってしまいました。
舞台が終わって、私は小さな頃からどうしても行ってみたかったところへ行って来ました。

その旅を終え、日本に帰り、しばし調べたいことがあって、たくさんの著書を借りては毎日読み耽っていました。

実際に見たもの聞いたもの、それを自分の中に収集して、更に広げて収拾して、
遠い日本からやって来た私には、数々の文明が残したファンタジーに近いような実際の物語と現実と

5月は多分そんなことで終わりそうです。

さて、ずっと行きたかったところというのはペルーという日本の裏側にある国です。
中でも、小さな頃にテレビで見て、たいそう衝撃を受けたナスカの地上絵を一番の楽しみに向かいました。

ナスカの地上絵のことは後々にまたお伝えしようと思うのですが、ペルーという国に行って日本に帰ってきてから考え方や、感じ方、そして毎日の食に変化があって、新しく生まれ変わったような気分です。



2019年4月25日木曜日

昨日は美味しいものをたくさん食べました。
お稽古中は忙しくて、握っていったおにぎりを休憩中にササッと食べるくらいだったので、
美味しいご飯を座って味わって食べられるのが幸せです。

定期的にここのご飯を私は欲するのですが、昨日も行って来ました。


代官山と渋谷と中目黒の間にある
というお店です。

一番最初は中目黒から事務所に向かっている途中に通り過ぎて、2回通りすぎようと思ったのですが、これは今入らないとここに二度とたどり着けないかも知れないと思って、思いきって一人で入りました。

あまり一人でご飯やさんに入ることがないのでドキドキしましたが、とても優しいシェフの方が迎え入れて下さって、そこから何回か通っています。

食べる人のことがよく考えられていて、
優しい優しい味付けになっています。

2019年4月23日火曜日

無事に

無事に全ての公演が終わりました。
御越しくださった皆様本当にありがとうございました。

今は数ヵ月かの稽古と本番で自分の日常を思い出せずにいるのと、多分エネルギーを使ったからなのか心に何もない感じです。

初日はいつも通り思いっきり緊張をし、
そして終演後に色んな方から意見や感想を頂いて、自分でも気が付かなかったことがたくさんあって、
途中は色んな気持ちで過ごしていました。

それでも明日はやって来て舞台に立ち、全力でやることには変わりはなく、
フラガールという不朽の名作を舞台化する難しさとはまた違った難しさも感じていました。
そのお陰で、『良かった』だけではない感想を色んな方と会話し、それが一番勉強になりました。

思いっきり緊張をしてしまう回や、力んでしまう回、悔しい思いをしたり、とても心が忙しい時を過ごしましたがあるときから一周して、お芝居と自我と自意識を観察してみたり、
演出家の人がたまに言う「抜いて抜いていけよ」という意味が少ーしだけ分かったような気がします。

今まで全力投球だけしか無かったものが少しだけいつもと違うことを感じて、もっと知りたい、学びたいと思うようになりました。

お芝居をするようになって感情の筋トレをしているようなところもあるのでいつしか笑えるようになったり、涙を流したり、少しずつ少しずつ何かが発動しているのかなと思っています。

何はともあれ無事に怪我なく終わり、
そして終わった次の日に散らかった部屋とたくさんの来てくださった方々から頂いたものやお手紙を読んで、久しぶりの温かい朝の光にも
本当にいつもありがとうございます。

また少し休んでご飯もいっぱい食べて、元気になったら勉強の旅に出掛けます。



2019年4月1日月曜日

ガングロヤマンバ

いつの間にか4月です。

鹿日記をサクサク更新したのも束の間
毎日朝から晩まで舞台稽古で
身も心もムキムキになってきました。

4月16日から
『踊るヤマンバ』という舞台が始まるのですが


ビジュアルが少しずつ公開され、
ガングロ文化凄いわ。

及川さんが、初めてこのメイクを見たとき
『トーテムポールみたいだな』
と言っていて、確かに。


4月16日から21日
赤坂レッドシアターにて

1997年、バブル崩壊後の東京下町。
時代に取り残されたガングロパラパラギャル達の
歌って踊って笑って泣ける青春群像劇!
『踊るヤマンバ』

http://ticket.corich.jp/apply/98088/008/
ご予約はこちらから

お知り合いの方は私の方に直接ご連絡を頂けましたらと思います。

是非楽しみにしていて下さい




2019年3月20日水曜日

カレーの衝動

最近、鹿日記を携帯で更新するのも慣れてきて
小さな画面なので、より自分の心の中と対話をしているようで嫌いじゃないです。

ダンスの先行稽古も終わり、
昨日は全体の顔合わせと本読みでした。

いつも思うのですが、お芝居をやる時に必ずやってくるのが
『カレー食べたい』という衝動。
昨日もガッツリカレーを食べていきました。
食べて行ったのに、稽古場に向かう頃には帰ってから作るカレーのことを考えて、何を買って帰るかまで考えて。
これなんなんだろうと
『カレー 食べたい衝動 何』と調べてみました。

そしたらもう、『やる気の現れ』みたいなこと期待してたのに、基本的に風邪とか免疫力の話で、
カレーに含まれる『クルクミン』が免疫力を高め、肝臓の機能を良くしてくれるのだそう。

いや、絶賛風邪引いてますわ。身体凄いな。
もう疲れてても夜中にカレーをスパイスから作ろうと思うもん。
香辛料は風邪に効果的なのだそう。

いきなり勉強になった。

僕はカレーを作るときは水野仁輔さんのレシピで作るんですけど、スパイスを色々入れていたら、なんか頭にターバンを巻いてる気分になります。
僕のチャイの師匠、神原さんの東京のワークショップにも来てくださいました。
お二人とも研究に研究を重ねられた方だから、レシピ通りに作ったら必ず美味しくできますと言っていたのだそう。

お二人のレシピ本を昔、全然それぞれに違うタイミングで読んだことがあって、どこか共通しているところがあるなと思っていたんです。そしたらお二人がお会いする時が来るなんて私は感動でした。その日私は居なかったけど。

レシピ本ってレシピが主ですけど、物凄く伝わるものがあります。
なかなか出会わないけど、結構そういうのに出会うと感動しちゃう。

本当は舞台のことちょっと宣伝しようと思ったのに、違うところに行き着いてしまった。
まぁ僕は、来週からの芝居稽古をまた一生懸命頑張ります。



2019年3月16日土曜日

電気ナマズくん


今朝起きたら喉が痛いなと思い、これは大変。来週から舞台の本読みが始まって本格的に芝居稽古が始まるのに、急いで葛根湯を飲み、炎症を抑える薬を飲みました。

そして、関西弁の電気ナマズ君の物真似を、物真似というか急に思い付いたキャラクターでずっと発声を続けていたら喉の痛みも無くなって、いろんな事が気のせいになりました。

いつかこの関西弁の電気ナマズくんの絵本を作ろうと思いました。

そんな土曜日の朝、僕はこれからニューヨークから帰ってきている友人と念願の行ってみたかったところでランチです。
電気ナマズ君のお陰で喉が治ったのでご機嫌で行ってきます。

2019年3月14日木曜日

大人のファッションショー

久しぶりに以前住んでいた近くで用事があったので、帰りにブティックのお母さんのところに寄ってきました。いつもニコニコ明るく元気で、この辺りのことをよく知ってて、この辺りのお母様方が持ってくる情報もたくさん知ってて、今日も楽しくお喋りをしていました。

ここへ来られるお母様方はいつもお洒落で髪型も綺麗にしておられて、たくさん試着してはお客様同士でキャッキャキャッキャと話しているのが私も楽しくって。

そのお母様方の着こなしや、お洋服の試着を見ながら、顔色や顔つきがどんどん変わっていくのを見ていて、それもまた素敵で、私もいくつになっても自分の好きなものはこれっていう風になれたら良いなぁって思いました。
皆様、◯◯歳って言うんですけど全然見えないの!

皆さんのファッションショーを見て元気になって私は今からオーディションに行きます。

2019年3月12日火曜日

恵比寿の花屋

恵比寿からちょっと歩きますが、この前初めてこのお花屋さんに行きました。
『恵比寿の花屋』さん

確かに恵比寿なんだけども、結構色んな駅の真ん中辺りにありそうなのと、何だか名前が気になって。

私は東京に来てからずっと同じ美容室に通っているのですが、そこの方が、旅立ちの時を迎えるとのことで、その人に合ったお花を選んでもらいました。
お花を差し上げるときに、その人らしいブーケにしたくて、今まで、『こういう感じの方』と、予算も含め伝えてしばらく経って戻ってくると全然違う雰囲気のものが出来上がってたりすることも多くて。
ここのお花屋さんは一緒に親身になって選んで下さり、私の知らない知識を与えてくださりながら、
そしてその人に合ったような、あくまで私の中のイメージなんですけど、出来上がったときには本当に嬉しくて。

嬉しすぎて、何度お店の中で『嬉しいです』と言ったか(笑)
いかにも自分が頂いたような写真になってますが、これから差し上げるブーケと嬉しくて写真を撮ってもらいました。


歩く

2度目の携帯からブログを更新
画面が小さくてなかなか想像もついてないながらに文字をつらつらと打っています。

そして一日の中で色んな出来事がある中でこれはと思うことをきっと素直に書けば良いのだと思いました。

インスタグラムというものをやってみて、それはやるんだけども、どうも性に合わないというか、今だかつて僕とインスタグラムの付き合い方が分かっていません。だけれども、やってみないと分からないこともあるし、やって分かったこともたくさんあります。

僕はこの鹿日記が好きです。自分の中でいろんな事が起きて、言葉にならないことも、ここへは正直に書いた日も、そして、誰が見てくれているのかは知らないけれどこんなかなりの自分本意の書き方に『鹿日記楽しみにしています』と言ってくれる人がいるなんて本当に感動です。
10年続けた鹿日記ですが、途中途中変わってこれは多分第三期くらいかな?だけど、僕の10年の軌跡は立派とも言えないけど重ねたものがあったから今ここにいるんだと思えています。
未だに自分自身の写真を見てはビックリすることが多いんですけど、いつの間に10年たって、最近の写真が漸く一つ変わっていったように思います。
色んな要因があると思いますが、自分の人生を思いっきり挑戦させてみたこと、苦手なことに敢えて挑戦する機会を頂いて、自分に束の間だけど自信を持たせてあげられたこと。
僕は頑固なので、人にこう言われたとしても自分で納得しないとなかなかうんと言わないところがあって、自分で自信をつけてあげられるのは自分自身だと思っています。

何を言いたいわけでもないんです。何を言いたいわけでもないことがこの鹿日記の僕の落ち着きどころだったと。
出てくる言葉をそのまま出す。今という時間を生きる。それが鹿日記。
何だか情報がたくさんあると処理するのが得意じゃないので疲れてしまって、ここにいつもたまったことを書いている日もあったし、
ただ仕事のことをあげることもあった。

でも僕は人間が好きです。人間くさーいのが好きです。人と関わるって結構難しくて、それを避けているような時期も長かったけど、自分一人で出来ることなんてたかが知れてると思ったときに、誰かが助けてくれた。必ず誰かが助けてくれて、それを忘れない。
このまま続けようかと思ったけどどこまで行くか分からないから、今日は先週、事務所に行くまでにいつもと違う道を通り、
フッと目に入った看板が、ご飯?


と何回も通りすぎようと思ったけど、今通りすぎたら次ここに辿り着けないかもと思って、思いきって入りました。

入った空間も良い感じで、次から次に出てくるご飯はひたすらに食べる人の口当たりなど、きっとよくよく考えられていることが伝わるようなご飯だった。とてもご飯に愛情があった。感動で、それをシェフに伝えた。
シェフはご飯が好きそうなかたで、そういう言葉に普通にそのまま返してくださった。帰りに玄関先まで見送ってもらって、美味しい愛情たっぷりのご飯を身体に充填して歩く一歩はまた全然違った。

一日のうちにとても大切なことは必ず人が関わってると思うんだな僕。

庭 という代官山渋谷の間にあるお店です。
カリフラワーのすり流しです。

2019年3月9日土曜日

4月の舞台

とっても久しぶりになってしまいました。
パソコンが壊れてしまってパソコンを開かない生活を続けていると、
案外自分はパソコンを使うことが無いのだなと、今はその時間を楽しんでいます。

携帯があればいろんな事が出来るので、今日は試しに携帯からブログを投稿しようとしています。

『鹿日記を楽しみにしています』と、たまにインスタグラムからメッセージを頂くのですが、私のトコトコ心の中から出てくる言葉にお付き合い頂き、ありがとうございます。

1年間続いたフラガールが、1月末に終わって、2月はエキストラ休暇という題目で何をしようかワクワクしていました。大分に行ったり、法隆寺に行ったり、お婆ちゃんに会ったり、高校の友人に会ったり。

その2月が終わって、3月から次の舞台のダンス稽古が始まりました。僕はまた毎日筋肉痛の日々ですが、あの大変なタヒチアンダンスを経験したからか、ダンスへの苦手意識が変わっている自分に気がつきました。踊れないからと言ってどうとかでもなく、とにかく一生懸命やる、その上で楽しい気持ちが湧いているみたいです。

4月、いつもの昭和芸能舎の皆さんと。
物凄いインパクトのあるフライヤーが上がってきました。

踊るヤマンバ

名字が山村なので『ヤマンバ』という言葉に何だか馴染みがあります。

↓↓

1997年、バブル崩壊後の東京下町。
時代に取り残されたガングロパラパラギャル達の
歌って踊って笑って泣ける、青春群像劇!

昭和芸能舎 第27回公演
『踊るヤマンバ』

作・演出:羽原大介

場所:赤坂RED/THEATER
日程:2019年4月16日(火)~21日(日)
16(火) 19:00
17(水) 19:00
18(木) 15:00/19:00
19(金) 19:00
20(土)   11:30/15:00/18:30
21(日) 11:30/15:00/18:30

開場は開演の30分前。
受付開始(当日券の販売)は開演の40分前。

【チケット料金】(日時・座席指定)
前売券 3300円[税込]
(当日券は3800円)

もしご都合のよろしいお日にちがございましたら

ウェブからの予約は、こちらから。
http://ticket.corich.jp/apply/98088/008/

お知り合いの方は直接私の方に連絡を頂ければと思います。

明日の10日から受付開始です。

告知で申し訳ありませんが今日はこれにて。




2019年2月4日月曜日

バレンタインが近い

前から気になっていたnativoさんのフォンダンカカオ

バレンタインが合わさって
茨城のつくばに工房と「manufact jam」という素敵なお店を構える木工作家の古橋治人さんのバターナイフがセットになったものを
差し上げたいと思った人が居て


即売り切れている。
ガッデム。

2019年2月3日日曜日

GLOW 3月号

DVDを観る前だったけど、
現在マルジェラのクリエイティブディレクターを務めるのガリアーノさんのお洋服。

久々に、着た瞬間にデザイナーさんのことを感じて
私はそういう瞬間が本当に嬉しい。

GLOW 3月号
Ph Yuji Takeuchi
Styling Kozue Onuma
Hair&Makeup Jiro for kilico.