2016年11月30日水曜日

忠ちゃん

あっという間に明日11月が最後の日になってしまいました。きっとこのブログを書き終える頃には30日になっているかと思います。11月は前半に誕生日というものがあるので何だかいつも過ぎ去るのが最も早い月のような気がします。それと同時に何だか本当にこの1ヶ月朝から晩までフル稼働したような気がしていて、漸く明日一つ束の間に一呼吸しても良いような気がして、久しぶりにこうしてパソコンを開けてみました。

この一ヶ月は本当色々な所に行きました。先週末は高校時代のバスケ部の友人の結婚パーティに出席し、久しぶりの友人に会ったり、とにかく毎週末どこかしらに行き、そして決まってなぜか誕生日前になると思いっきり風邪をひくのですが、何だか風邪を思いっきりひけないスイッチみたいなものが入っていてずっと地味に咳だけが続き、今日は少しロケバスの中で休憩中眠っていたら、鼻がフィーかピーかずっと鳴っていて、鹿の鳴き声かと思ったと言われ(そんなことあるかい)、帰り道本当に鹿を見ました。野生の鹿に出会うととても嬉しいです。暗闇の中凄い可愛いかったです。

一息ついたので何か言葉が出て来るかなと思ったのですが大して何も出て来ず、やらないといけないことを後回しにしようとしている口実な気がしたので、一先ず寝てみようかと思います。また12月何かがあるような気がして、そのワクワクのために11月最後の日を過ごしてみようと思います。


2016年11月12日土曜日

1111

昨日20代最後という時を迎え、先週くらいから後輩に「あと1週間、やり残したことやりましょ」と言われたのでその時しばらく考えてみたのですが、どう考えても悔いの無い20代だったと思い、「無い」と答えたのですが誕生日の前々日に朝起きて寒くてなかなか布団から出られず、インスタグラムを開げてみたところ、急に『私この人に写真を撮って貰いたい』と、布団から脱出して、一筋の勇気が指に湧いて、お会いしたことも無い方だったのでインスタグラムからダイレクトメッセージをドキドキしながら送りました。数時間後にとても丁寧な文書が返ってきてその次の日にお会いすることになりました。

その誕生日の前日の朝も寒くて布団から出られぬ時間を過ごしていたら、本当に東京に来てからお世話になった人から誕生日の前日ということも知らず電話がかかってきました。なんか蟹や言うて、蟹に釣られて布団から脱出し、その数時間後に4人で蟹のパスタを食べました。この20代の感謝をとにかく蟹のパスタを食べながら伝え、お腹もいっぱいになったところでフォトグラファーさんのところに行って来ました。

お会いしてお話をして、写真も見させて頂いて、撮っていらっしゃる写真から想像通りの方で、20代最後の私をおさめて下さいました。

そしてその後はこのブログにも何度も登場している純さんに恵比寿にある美味しい御料理屋さんに連れて行って頂いて、もう純さんとは何年の付き合いになるのか分かりませんが、私は元々ファッションに本当に興味が無くてお洒落の仕方も自分には何が合うのかどうなのかということがずっと分からずにやってきていて、でも会う度の純さん自身のお洒落や、純さんの助言により、私にファッションの楽しさを教えてくれたのは純さんだと思っていて、最初はお仕事で会うことしか無かったのがいつしか夏の暑い日に担々麺を作ったから一緒に食べようと言って下さった日や、こういう展示会があるから一緒に行ってみようなど、私には兄しか居ないので姉が居たらこんなお姉ちゃんが良いと思う程本当にいつも優しく、さりげなく、ファッションに疎い私に色々な助言をして下さっていたのだなぁと思い、この10年、モデルという軸で動いてきて、何度辞めようと思ったか分からないこの職業に、それでも辞めなかったのはたくさんの方がその度その度に言葉を残して行って下さったからです。20代をこの仕事に捧げて、勿論色々ありましたが、何度振り返っても私の20代は本当に最高のものでした。ファッションを通して、この仕事を通して出会った方々が育てて下さったと思っています。本当に昨日は最後の最後まで有り難うと言える日でした。そして一つとても問いたかったのは、モデルを始めた直後、本当に失礼なことに大きな舞台で明るい照明に向かって歩いたり人前に出ることが異常に苦手だったのもあって、ショーに出たくない(本当に失礼な話ですみません)とストレスがストレスで、泣きじゃくっていた時に母に尻を叩かれ「ステージの上では一人や!」と怒られたことを覚えているのですが、もう絶対これを歩いたら辞めてセルロースの研究に徹すると心に誓い、そうすると20歳の時に、ある一通の手紙が届いたのです。これも何回かお話したことがあるかも知れませんが、10歳の時に小学校の学級会でやっていた「10年後の私へ」という葉書でした。10歳ながらに自分は何を書いたのかと、父や母や兄や祖母の安否に友人の名前、好きな人の名前と、そして一番最後に「20歳の紘未さんは今の私の夢であるモデルさんになっていますか?」と。自分にだからこそ打ち明けられたその夢に、彼女のお陰で私はモデルを辞めずにすみました。どうでしょう。10歳の私が理想としていたモデル像に私はなれているでしょうか。それを彼女に聞きたい。まだまだと言うかもしれませんが、この先もずっとずっとまだまだ何かが続いているような気がして、尻を叩かれた時の母の言葉も今では、ショーは一人ではない瞬間をフッと感じることも出来るようになりました。歩いていて演出家さんの懐の大きさを感じることも、服の力を感じることも、今では何だか時代が変わって来ていて、仲間を感じることもあります。この仕事を続けて本当に良かった。どんな時も立ち上がってまた歩き出してくれた20代の自分に心から感謝をしたいです。ありがとう。

2017年11月11日

2016年11月9日水曜日

猫長老

めっきり11月になって、この月は特別な魔法がある期間だと思っていて、この時期にしかない魔法です。

今日は先日母が柿を携えて奈良からやって来てくれたので、その柿を食べました。そのさながら寒い朝にコポコポとゆで卵を作ったのですが、めちゃくちゃうまく出来たので朝から凄く感動をしています。

午後はこれから猫長老先生の所にボイストレーニングに行ってきます。長年のお付き合いなのですが、特に歌を披露することもなく、人前で微弱な話し声なので誰も行ってるとは思っていませんし、私もなかなか言い出せなかったのですが、行っています。

自分の心に持っている何かを引っ張り出すには先生に会いに行くのが一番です。


こういうことを書こうと思ったのではないのですが筆を走らせて居たらここに落ち着いてしまいました。

2016年11月3日木曜日

サウダーヂな夜

先週は仕事で岡山に行っていました。岡山には再従姉妹がいて、幼い頃は何度か訪れた土地なのですが、大きくなってからはめっきり訪れていませんでした。久しぶりに皆で食事をしたのですが、早食い競争並みのスピードで食べては追加する再従姉妹の食欲っぷりに驚き、ご飯でも一緒に食べようものなら覚悟が必要だとこの度分かりました。

岡山は今年二度目なのですが、色んな各地を回る中で最も好きな土地で、ご飯がおいしいのと本当に人が優しいのです。

この度はtable Haradaさんというビストロにお邪魔して、


その名の通り原田さん夫妻がやっていらっしゃるのですがとても素敵なお店で岡山に誰かと来ることがあったら是非お連れしたい場所だと思いました。そしてその後はお馴染みサウダーヂな夜にお邪魔して、



ここは以前にも2度程来たことがあるのですがスピーカーが素晴らしく良くて、音楽に疎い私なのですが、音楽は人をその気持ちにさせるなとここに来ると思うのです。

そして岡山に到着する前に倉敷に行ったのですが、ここには大好きなご夫婦が住んでいて、岡山に来ると必ず元気かなと会いに行くのです。

今週は名古屋です。また名古屋にも幼稚園から高校まで共にした友人が住んでいるので会いに行こうと思います。仕事で訪れる土地その土地に会いたい人がいることがとっても嬉しいです。


2016年11月1日火曜日

服の魂

不器用さと言ったらないけれど、私たちは服に出会って、服から感じる何かがある。その人が服に込めた思いや、どれほど自分の服を愛し、そういう色んなものが服を羽織ることで分かる。数歩歩き、分かることがある。


sulvam 2017ss

世界中にたくさんの人が居るのに言葉を交わせる人はほんの少しで、世界中にこんなに服があるのに出会えるデザイナーは本当にごくわずか。何年か服を着て歩いているけれども最近では服を着るということがまた少し変わって来た。もう少し自分の中で参加型になった。それは自分の中身が大人になったからなのか、出会う服が変わったのか、時代が変わったのかはよく分かっていない。でも今シーズンは自分の中で顕著に変わった気がした。私たちはデザイナーよりもフォトグラファーよりも職業的には短命であると思っていて、それでも同じ時代をデザイナーさんに関しては、自分が人生の中のモデルという短い時代の中で共に時間を共有出来る時代を与えてくれたことにいつも心からの感謝です。