2021年11月13日土曜日

手も足もバンザイ

手も足もそれぞれに万歳をして眠っている娘っち。

この姿を見ると、今日1日思いっきりやりきったように見える。

私も1日1日を思いっきり使いきろうって思うようになった。

最近、娘っちを寝かしつけたあとと朝のまだ暗い時間に、自分の時間が少しできるようになった。

これまでは娘っちが寝たら私もバタンキューだったのが体力がついたのか、限られた時間の中でやりたいことというのは極めて自分でも興味のあることや楽しいこと。

コロナ禍で、自分の走ってきたいつの間にか気が付かずに対応してきたことや、娘っちのお陰で時間が無限ではないこと、たくさん気がついた2年のお陰で私の生活はとてもシンプルになったように思う。

仕事に復帰したこの一年は、久しぶりに自分の写真が変わったと自分でも実感ができた。

私にはそれは「人生で大きなこと」が関係しているのだなと思った。

次の時代に向けて私もまた勉強がしたい。


2021年11月11日木曜日

私の母の日

 今日は私の誕生日です。

こんなこと昔は言えなかったな。「おめでとう」と言われることが毛恥ずかしくて、でも嬉しい自分もいるのに。

もう年齢を重ねて、自分の誕生日を「誕生日ですー!」とまで言えるようになった。この声がもしかしたら年々大きくなるかもしれない。

娘っちを産んで、誕生日の概念が変わったのかも知れない。誕生日は自分が生まれた日だけど、お母さんが一生懸命頑張ってくれた日。

この日こそが私の母の日。



2021年11月10日水曜日

いないいないばぁ

 こんばんは。

本当にこれぞお久しぶりになってしまった鹿日記。ずっと読んでくださっていた方はきっと、もう更新しないのだろうなと思ったかも知れません。

実は1ヶ月半前、長年住んだ町からお引っ越しをしました。こうして筆をとれるようになったのも新しい生活に少し慣れたからかと思います。

娘っちは9/30で1歳になり、少しずつ意志が出てきたように思います。言葉は「いないいないばぁ」をハッキリ言うことくらいですが、なんとなく私と同じように、ゆっくりしているような気がします。

久しぶりで、ぎこちない文章になってしまったけど、また少しずつ更新していこうかと思います。

これぞ「いないいないばぁ」

2021年7月15日木曜日

 9ヶ月と半分が過ぎた娘っち。

最近気がついたことは、私、娘っちに遊んでもらってるのかも知れない。

今まではフヨフヨしてた時期はミルクをあげたりオムツを変えたり、今でも変わってはないのだけど、最初お世話係みたいだったのが、最近は遊んでもらってるのかもって思い始めた。

全然カフェとか一人で入らなかったのに一緒に入って貰ったり、一人じゃ行かなかったところに一緒についてきて貰ってる感。

本当ありがとうございます。

2021年6月25日金曜日

浦島弥太郎より

あぁ、またきっと日記の更新が空いてしまったなと思って久しぶりに開けた鹿日記。

最終更新から一ヶ月以内だったことに予想外だったけれど、もう何ヵ月も経ってしまったように感じてしまうのは、目の前にいる小さな生き物の成長が目まぐるしいからではないか。

人って一週間でこんなに出来るようになることが増えるの。増して一ヶ月って人にとっての成長って充分な期間なの。と日々一生懸命頑張っている人を間近で見ていると、私もまた何かに挑戦したい気持ちになった。

相変わらずゆっくりな自分は東京の保育園競争には充分に乗り遅れているのだが、こんな姿を見させて貰って、竜宮城とかどこにも行ってないけど浦島弥太郎ぐらいの気持ちになっている。

私もまた一生懸命になれるようなこと、挑戦したいと思うようになって、先週から少しずつ行動をしては来週から習い事も再開していこうと思う。自分でもよく分からないけどやる気が凄いです。

2021年6月3日木曜日

朝のルーティーン

 最近のルーティーンが朝5時に起きて買い物に行き、皆の朝御飯を作る。

離乳食が始まってからというもの、離乳食というものを人生で作ったことがないもので、最初は結構手こずった。

最近はコツも掴んで、娘っちも8ヶ月になり、ドゥルドゥルのものじゃなくてもよくなったので手掴みで食べる練習ばかりをしている。

朝早くに買い物に行くと普段会うことの無いお婆ちゃんやお爺ちゃんに会えたり、家に帰る頃には洗濯が出来ていて、ちょうどベランダに日が入る頃に干せる。

そして皆が起きる束の間の時間読書をして過ごす。

こんな朝のルーティーンを繰り返しているとお昼までにまぁまぁ眠気が一度襲ってくる。

昨日は仕事があったので娘を預けて、15時に迎えに行くまでに40分ほど時間が出来た。眠いのなんのなんだけどちょっと一人の時間をグズグズ使ってしまって、あと10分というところで、これはやっぱり寝とかないと後半戦の体力が持たない。と目覚ましをかけて8分間夢を見た。

これが本当にスッキリして、この短時間の睡眠でお昼いけるのであればこれを続けたいわ。


2021年5月27日木曜日

夢にも笑い

先日、夢に霜降り明星のお二人が出てきた。

せっかく夢にまで出て来て頂いたのに辛うじて存じ上げている程度だったので、 どんな方々だろうとyoutubeを見ていました。

霜降り明星のせいやさんの笑福亭二鶴師匠のモノマネが素晴らしすぎて、そこから隙間時間に霜降りチューブを見、今更ながらお笑いの素晴らしさを全身で感じています。

昨年、ナイツ塙先生の著書「言い訳」を読んだときも、特に漫才の素晴らしさを感じてこれは初回からのM-1を見なければと意気込んだのを覚えています。

最初は霜降り明星さんが優勝した2018年

トロフィー贈与の時の松本人志さんの「皆でお笑いを盛り上げてくれてるんやなて、おっさんなんで泣きそうですわ」みたいなコメントにグッと来てしまい

私関西人で吉本新喜劇とかも見に行ったり、毎週土曜日学校終わってお昼ご飯食べながら吉本新喜劇をおばあちゃんと見てたし、何なら学校の参観日の出し物で吉本新喜劇やったわ。

あのときのお笑いの、人が笑ってる、楽しんでるって言うの思い出して、もう素晴らしくて。

今更ながらやけど、もっと深くお笑いを楽しめるようになったオカンの私がいます。

審査員の方々の意見も、お笑いの見方の勉強になるし、塙先生が笑ってる姿も嬉しい。塙先生の本を読んだからか、お笑いを物凄く大切に想い、全ての笑いに愛情を持って見ていらっしゃるように思えて。

変な言い方やけどお笑いをやってきた人達はお笑いも、そのやってる人もほんまに大切に想ってはる。

夢に出てきた霜降り明星のお二人のお陰で、毎日笑いながら育児が出来ています。

ありがたいです。こんなご時世だけど、めちゃくちゃ漫才観に行きたいです。


2021年5月20日木曜日

鼻歌バロメーター

 二日前、お風呂に入っていたら鼻歌を歌っている自分に気がついた。

鼻歌て。何年ぶりだよ。

私今きっと機嫌が良くて余裕があるんだと思った。

そして昨日は笑いながら目が覚めた。起きてからも笑ってた。面白い夢を見たのだ。

いつぶりだよ。

私きっと今機嫌が良くて余裕があるんだと思った。

寝てる間も笑えるなんて最高。舞台でご一緒した及川いぞうさんが出てきた。拝みます。


 7、8ヶ月の成長が目覚ましく、

日々の自衛隊訓練から、相当なるスピードで匍匐前進をしている。膝を地面に着いて、崖の上の狼みたいに大きな声で何か言っている。

本当元気の宜しいことで。

昨日初めて児童館というものに行って、色んな赤ちゃんとお母さんに遭遇し、児童館担当のおばちゃんがめちゃくちゃ親切なことに感動した。もっと早く行けば良かったと思った。

緊急事態宣言中なので滞在は2時間まで。

家に帰り、二人して爆睡したのは言うまでもなく。

児童館デビューです

2021年5月13日木曜日

スフィンクスから狛犬

 7ヶ月になった娘っちは最近スフィンクスから狛犬のようになってきた。

まだハイハイはしないがその傾向というか助走みたいなのをつけているようだ。

昨日「いないいないばぁ」を一緒に見てみて、まだ興味を示していなかったけれど、私の方が楽しんでみていた。

わんわんとはるちゃんと子供達が一緒になって歌うところが、本当個性に溢れてて最高だった。

わんわんに抱きつく子

わんわんに抱きつきたいけどなかなか行けなくて見ている子

自分の世界で踊っている子

後ろのボンボンみたい飾り物の狭いところに入っていく子

可愛いが溢れていた。

そしてはるちゃんだって、私たちの年代からすると子供の領域なはずなんだけど、

歌って踊って忙しいのに小さい子達への配慮が凄い。うつ伏せになるときも瞬時に回りに小さい子がいないか確認して音楽に遅れないように歌っているし、私感心しちゃったよ。

はるちゃん凄いよ。

2021年4月21日水曜日

今日は朝からお風呂と洗濯槽と洗面台と台所の水回りを綺麗にできて心から幸せである。

無心にお風呂掃除している時が一番頭に何かが浮かぶわ。

そして昨日、お仕事でずっと会いたかった人に会えて、一日中会えて、なんて嬉しいんだろう。

世の中には可愛い人や、一生懸命頑張っている人がたくさんいる。それを見てるだけで何だか心がシュワシュワするわ。

私嬉しい。 

今日は娘っちと何をしよう。

2021年4月16日金曜日

家の中

 毎日が毎日が過ぎて行く。

朝起きて、娘っちが寝ている間が少しの自分の時間。メールをチェックしたり返信したり。

洗濯物はないか、朝御飯の仕込み、娘っちのゴロゴロスペースを整えたり。家のなかをあっちへウロウロこっちへウロウロ。行く先で気になったものの掃除、何かに気がついて別の場所でも作業をして、点々とやりっぱなしのことに気がつく。ぐるぐるぐる家のなかを回っているんだけど、案外そんな時間も嫌いじゃない。

朝がきたー!と思って動き回り、夜が来たら、今日1日なんとか終わった!と思って眠りにつく。

そうするとあるべき所での在り方にも気がついて、家のなかが少しずつ様子が変わっていきます。

2021年3月25日木曜日

 一人の人が成長していく姿を見るのは大変なこともあるけれど、

そのことによって何かを得るというよりかは何かが勝手に溢れるという方が近い気がする。

もうすぐ娘っちが産まれて6ヶ月ですね。


2021年3月23日火曜日

ミセス4月号

ミセス4月号

この号でミセスは休刊になるそうです。

たくさんのことを教わったミセス


東京に来たての頃、こういうモデルになりたいとか漠然とした夢がありました。

ミセスに出ているモデルの先輩方の美しさに惚れ惚れして、いつかこの雑誌に出られるよう頑張ろうと心の片隅に置いて過ごしていました。

東京に来たての頃は夢しかなくて、こうするためにはどうしたら、こうなるためにはどうしたらと日々考え、それを実践していたように思います。

特に20代の半ばに海外のエージェントと契約した時には、ロールプレイングの主人公になった気分で自分を自分で動かしていたような感覚でした。

 そして30代を目前に日本に帰国したのですが、心身共に疲れ果て、すべてをやめて奈良に帰ろうと思っていました。

そんな私を多分察して、社長からたまに飛んでくる言葉がやって来ました。

モデルという仕事は私はとても短命だと常々どこかにあったので、自分が叶えたかったことを、もちろんもっと大きなことはあったけれど、イギリスで自分の心の中で何周もして、叶えたいという思いの過程で自分の変わらない心に気がついて、それを追究したんですね。それを納得した時に、もう良いかな、ってどんな仕事もそうだけれど、次の大台に乗るときはしばし立ち止まって考えた、というのが30手前だったんでしょうね。

社長に

「私、今年70よ。」と言われ、ハッとしたんですね。なんか多分エネルギーが燃え尽きちゃっていたというのもあったんでしょうけど、これから日本で見れる世界を放棄しようとしていたんだなって気がついて。

そこから暫くジッと過ごし、そうすると舞台のお仕事やミセスと幅が広がり、そういえば東京に来たときにミセスに出るようなモデルになりたいと思っていたんだったって思い出しました。

30代一年生としてまた新人になったつもりで頑張れば良いんだって思いました。

いつだって紡いでる毎日の先に自分が立っていて、決して後退しているわけではない。

携わったミセスは本当にヒトもモノもどちらも大切にしてくれる雑誌でした。この号をもって休刊になるそうですが、この号でここまで伝統と歴史のある雑誌だということを知りました。親から子へ、親子一緒にという、60年の歴史。

私はたくさんのことをここで学びました。




2021年3月17日水曜日

形容詞の奈良

先日、事務所に久しぶりに行って社長に会った。

出ている雑誌について一言

「慈しみが出たわね」


慈しみ慈しみ

「慈しみの奈良」

違った「うるわしの奈良」だった。


慈しみってどういう感情と思ったけど、出そうと思って出るものじゃないんだろうなと思った。


思うに、モデルって造形の個性というのは確かに必要かと思うのだけど、昨年末に亡くなったスーパーモデルのStella Tennantさんや、現存のSaskia De Brauwさんや、写真から溢れ出るご本人の何かに惹かれて仕方がない。

それは未だに説明できないその人の中身の何かだと思うんだな。


社長の言う「慈しみ」

これまで持ち合わせていなかったか、写真に出るほど溢れていなかったそれを大切にしたいと思いました。

知ることから

 いつも何かと時代に乗り遅れているのだが

最近ポッドキャストを聞き始めた。

未だ何だか分からないけれど、気になることを聞いている。

娘っちを21時頃に寝かしつけて、暗闇なものだからあんまり携帯をいじっていると目が悪くなりそうだなと思ってイヤホンを着けて静かに耳を働かせることにした。

今はファッション関連についてのポッドキャストばかりを聞いているのだけど、やはり前から言われている気候変動の問題や、自分の仕事であるファッションが環境にもたらすこと、

ニュースを見ていても、やはり無視はできないことだなって思って。

かと言って極論を言うのではなく、子供たちがデザイナーになりたいとかモデルになりたいとか選択肢を奪うような世の中にはなって欲しくないなと思って、まずはどういう現状であるかしっかり知らないといけないなと思ったから。とりあえず、娘っちを寝かせたあと、しばし勉強してみようと思った。

2021年3月16日火曜日

膝立つスフィンクスのクレーム

 今日、娘っちは二つくらい新しいことが出来るようになった。

今までは寝返ったあとは、スフィンクスの状態だったのに、膝を少し地面に着けてお尻をあげられるようになった。

こうやってハイハイが出来るようになるんだろうなぁ。

あとはもうそろそろ離乳食が始まる時期で、涎がたくさん出るようになったし、私が何か食べているとジーっと見ている。

そしてクレームの入れ方が

「マンマンマンマン」と「あうあう」から子音を使うようになってきた。

だいぶクレームを入れられているけど娘っちの成長に感激

2021年3月14日日曜日

歩くスフィンクス

昨日の娘っちはなかなか寝なくて、寝返ってはグラグラするスフィンクスのようだった。

手を一歩前に出すことが出来るようになって、これが二歩三歩と、やがて歩くようになるんでしょうね。


2021年3月11日木曜日

朗報

ここだけの話、ファッションのお仕事に携わって15年

やっと楽しめるようになったような気がする。

ファッションが好きになったみたい。


2021年3月5日金曜日

訓練

 何やら朝方、寝ぼけ眼に「フンフン」言う声が聞こえたので薄目を開けて見ると、

朝早くから寝返っとるやないか。

自衛隊の訓練みたいに一生懸命顔をあげて、ほふく前進でもするかのよう。

なかなかの根性である。

もう少し寝かせて。

2021年2月28日日曜日

進むくん

一昨日寝返って、昨日の寝る前には3度見せてくれた。 

果敢に挑戦する姿に、なかなか根性があるなと思い、今日は寝返ったあと一生懸命に前に進みたそうだった。

上手くいかずか久しぶりに大泣きしていたけれど、よく頑張ったことを思いっきり褒めてあげたい。

人はこんな風にいつしか歩むことを知るのだなぁと、1日1日目覚ましい成長っぷりである。

2021年2月27日土曜日

レオパード

 

house of lotus 2021SS

今年こそ、挑戦したいレオパード

2021年2月26日金曜日

寝返り

 また少し、間が空いてしまった。

くそぅくそぅくそぅ

毎日一つと意気込んだものの、3月からまた頑張るとして、でも更新できないのは1日を本当に使いきったという日でもある。

だからこの数日間は身も心も充実していたのだ。

娘っちは夜中に二、三回目を覚ますのだが、その度に目を擦ったり頭をシャカシャカ掻いたり全身で暴れるのだが、

昨日、暴れついでに寝返った。

夜中じゃなければ大拍手喝采のはずなんだけど夜中過ぎて、寝返った我が子が一生懸命顔をあげる姿に、私も娘も起きてるのか寝てるのかわからない状態で、冷静に元に戻しちゃったよ。

私しか目撃していない祝寝返り

2021年2月21日日曜日

ポコタ

 

お祝いに頂いたぬいぐるみ達に、娘は何て名前をつけるだろう。

私にもかつてお気に入りのぬいぐるみが一体

彼の名はあらいぐまの「ポコタ」

当時、姫ちゃんのリボンという漫画があって、漫画に出てくる喋るライオンのぬいぐるみと同名である。あらいぐまのポコタもいつか喋るんじゃないかという願いを込めて。

喋らないポコタを見かねた母が、ポコタを操ってジャイケンをしてくれたりしたのだが、ポコタはどうやらグーしか出せず、負けバージョン、勝ちバージョン、あいこバージョン全てのパターンを見せてくれた。


お気に入りすぎて、あらいぐまなのによく洗われて最終的に全身パンチパーマのようになったポコタ。

いつしか遊ばなくなってしまって、ずっと飾っていたのだが、定期的にやってくる家の断捨離によって、パンチパーマのポコタは旅立って行ってしまった。

それでも自分が大事にしていたという記憶はいまでも残ってる。


2021年2月20日土曜日

一本

 暗闇で寝かしつけをして、さぁ寝ようという時に何か目に入っているような痛いような、気のせいと思い込ませてもやはり痛い。

携帯の照明を照らし鏡に映してみると、一本の逆睫毛

あぁそう言えば昔から一本生えるか生えないか、あったなと思いだし、私には不定期に生える一本が体のいくつかにある。

所謂福毛というものだ


額のど真ん中に白いフワフワした毛

大仏様の白毫みたいなものだと勝手にグッドな解釈をして、ある日メイクさんがコットンの埃が額に着いているのだと思い、手で払った。

ブチ

しばらくアシスタントさんとメイクさんは目を丸くして止まり

「あ、大丈夫ですたまに生えるやつなんで」と湿地のキノコみたいに答えてみる。

もう一本はハンコ注射を打つあたりに生える。

こいつは夏場風にフヨフヨ靡くのでまぁまぁ可愛いです。

2021年2月19日金曜日

JUN MIKAMI 2021AW


純さんの素敵なところは人柄もコレクションも潔いところ

2021年2月17日水曜日

弱小の勇者

 出掛けたときに、慌てて出たわけではないのに気付いたらプラスチックの白い靴べらを持っていて

弱小の勇者みたいになっていた。

これきっとドラクエの道具屋で売っても10Gとかそんなレベル。

2021年2月16日火曜日

肌の記憶

 casucaというヘアバンドを長年使っている。

同じものをずっと使っているがためにもう端も切れてしまって、ゆるゆるにもなってしまったのだが、それでもこの着け心地が気に入って、他のどんなヘアバンドもしっくりこない。

インナーウエアのブランドだからなのか締め付けや心地にとても気を使っていらっしゃるんだと思う。

お洋服って仕事で色々着るんだけど、撮影で着ただけじゃ分からない日常の擦りきれるまで使って漸く分かること。心地と自分と同化するものたち。頑張らなくていいもの。擦りきれても使っていたいもの。擦りきれるまで使えばもう自分のものになっているし、それがスタイル。

2021年2月15日月曜日

予防接種

 一昨日予防接種に行った。

もう産まれて3回目なのでどことなく私も慣れてきたけれど、抱っこして、はい出掛けますよとニコニコバタバタ。

(あぁ娘よスマン、これから予防接種に行くのだ) 

このあと恐怖の注射何連発かやってくることになるのだが、4ヶ月になった娘は病院のベッドに横になっている時は普段と変わらぬご様子。白衣の天使がやって来た途端

(この光景、、見覚えが。。)

という表情をして、いざ先生を目の前に

(やっぱりやんかーーー!)

という確信に変わった顔をした。

小児科の先生も

「おー、もうだいぶ分かってるねぇ」

私もそのように思いま ブスー!

「ワーーーー、ギャーーーー!」

本当いつも病院中に響き渡る泣き声に母は少し笑ってしまってごめんよう。

行く前のあなたの笑顔が私には辛いよ。



2021年2月14日日曜日

シンプルな生き方

 伸びをするときは全身を使って高らかに足をあげ、眠るときは手を横に広げて大の字

泣きたいときに思いっきり泣いて、なんか用事があるときは大きな声で呼ぶ。自分の要求を何かしらの方法で伝えて、生命力が半端ない。

ただただシンプルに生きていて、本来はこういうものだと思うと、ただただ自分の要望を一生懸命伝えている。

みんな最初は赤ちゃんだったんだよなぁ。


昔、シンプルな生き方ってどういうことをいうのか年代に分けて質問したことがあった。

全部記憶にないのだけど、60代の人に聞いた答えは「為すがまま」だったと思う。

為すがままってやっぱり重ねてきた大人用語だなと思った。還暦迎えたらまた1歳と聞くけど、「シンプルな生き方」っていう用語ですら赤ちゃんを見ていたら大人が目指す生き方として生んだ言葉だよなと思った。

ただただ明日も明後日も生きてる。

0歳代のシンプルな生き方

2021年2月13日土曜日

君のホリデー

 近所の人が編んでくださった


還暦ニット


あたまの絶壁を改善するべく
ドーナツ型の枕を購入してみた。が


気がついたらいつも海辺でよく見かけるスタイル。

ご旅行ですか


2021年2月12日金曜日

真夜中の一撫で

いつもなぜこんな夜中に更新をするのかというと、娘が決まって2時台に目を覚ます。

物凄い腕の素早さと共に顔をこすり倒すので、しばし30分ほど対応してもう一度寝て頂く。

多分この次は5時か6時台にやってくるであろう。私は目が覚めてしまって、しばしストレッチをしてみたりお腹がすいたなぁと思いながら鹿日記を書いている。 

妊娠期から3時間おきくらいに目が覚めていて、出産してからも寝ていたって娘が目を覚まそうものならいつでもアイムレディ(準備ができている)状態。多分

ぐっすり寝るだなんていつぶりだろうと思うけれど、抱っこして腕が痛いだなんだっていう時期もきっとそう長くはないだろうとしばし娘の頭を一撫でしてみる。そーっとね


2021年2月11日木曜日

SNSの咀嚼

色んな手軽で楽しいSNSがたくさんあるのだけど、やはり自分はブログが居心地が良い。

このブログ、何度か新しくなっているけど、上京した時から続けている。

社長が続けなさいと言ったことは、時代が新しくなったって細々と続けている。そしてここにはコメントが出来ないようになっているので、インスタ等を通して直接メッセージを下さったり。相当意を決してご丁寧なメッセージを頂くものだから本当にありがたい。

そして私も、この世界中のどこかで同じ気持ちで居てくださった方が居たんだと、世の中捨てたもんじゃないって思うわけです。

時代っていうのは新しくなるのが早いですねぇ。なんて思うけど、デジタルの世界がとても早いように見えるだけで、実際の自分なんてゆっくりゆっくりやっている。 

レモンを収穫して蜂蜜と美味しいレモネードを飲んだり、

コロナの自粛のお陰でやむを得ず人生で食事を作る回数が増えて、苦手な料理を少し美味しく見せることを考えたよね。

日々つらつらと書き留めている方が指一本で次の人の状況に移ってしまうSNSの早さより私ゃ咀嚼ができる。

2021年2月9日火曜日

あうあうあうあう

娘の最近は何かとしっかり見たり聞いたりして、「あうあうあうあう」とちょっとクレーム交じりのことから泣きに入るようになった。

その頃に何か歌を歌うと、ちょっと耳を傾けてしばし泣き止む。

しかし私は自他共に認める音痴なんだが、これ間違って娘は音程を覚えないかそれだけが心配。

結構顔もしっかりめに動かして歌うので途中から笑ってくれるのだけど、「お母さん、音痴やなぁ」って思ってくれてるくらいがちょうど良いんだけどな。




2021年2月8日月曜日

dries van notenの奇跡

 



デザイナーさんの中で、とても尊敬している
dries van noten


色使いといい、柄の間といい、風情があるという言い方があっているかは分からないけど、心が惹かれて止まない。


この世の中にお洋服なんてとてもたくさんあるのに、何でこの人のお洋服にこんなに惹かれるのか分からない。

仕事柄たくさんの服を着るので、仕事の時は服に対して素直に着るだけなんだけど、普段の自分が心惹かれて止まない。


どこかいつも自分の日本での記憶が呼び起こされるものがあるの。これなんかは竹久夢二の絵にとても似てる。


これなんて、自然のなかにこういう瞬間ってあるよなって思うの。自分の髪と髪の間をすり抜けて頭皮に触れる温度が心地よい風の季節に、フッと空を見上げたら木々が揺れてるの。


これなんかは西加奈子さんの「サラバ!」に出てくるお姉ちゃんと奇妙キテレツの巻き貝がいつも思い起こされるわ。

服を見て何かしらの人の心が思い起こされるから好きなのかな。

色使いや柄を非常に尊敬しているとここまで述べてきたけれど
私が大切に大切にしているdriesのコートは無地で、色も仮縫いの型につかうような生地の色のもの。

極めてシンプルなんだけど、その昔イギリスの事務所に所属した自分への一歩にその服を選んだんだわ。
なかなかシックなものを選んだなと思ったけど、あれはお婆ちゃんになってもきっとかっこよく着れるだろうと一生もののコートなんだわ。







2021年2月7日日曜日

夢中になれること

芦田愛菜ちゃんとサンドウィッチマンさんが出ている博士ちゃんという番組を観ていて

子供があんな風に好きなことを溢れんばかりの笑顔で話している姿が最高でたまらない。

私も娘があれくらい夢中になれるものを見つけられたら良いなぁと思っています。

私の場合は興味のあったものっていうのが

●宇宙の話

これは今でもやっぱり好きで近年でははやぶさの無事の帰還の本を読んで感動し、こんな素晴らしいこと誰かに伝えなきゃって鼻息荒く伝えたら、友人の顔が「??」に近い顔をしているのが分かってハッとしたことを覚えています。

●記憶しているものとしてピアノ

簡単な電子ピアノを小さい頃に買ってもらっていて、それを独学でずっと弾いていた。あれだけ弾きたいという欲があったのになぜ習わなかったんだろうと思うけれど、そういうことでもなかったのかな。今でも分からないけど習うと続かないものだったのかも知れないし、今でもきっと弾けたらなぁってどこかで思ってるかも知れない。

●卑弥呼について

なぜだか分からないけど卑弥呼の話ばかり読んでいた。それのお陰で弥生時代に非常に詳しくて、本当は争いのない縄文時代とか、縄目の紋様の土器とかの方が今見ても良いなぁなんて思うんだけど、当時は卑弥呼に没頭して、弥生時代の近畿説、九州説について近畿であることを願っていた。


そしてなんてったって一番長く遊び時間に費やした、紙の着せ替え人形が私の幼少期をほぼ埋めていましたね。

ぬり絵とかが売っている同じコーナーに置かれた、多分一冊300円もしないようなやつで、セーラーヴィーナスの美奈子ちゃんに一日中色んな服を着せて遊んでいました。来る日も来る日も。

たくさん持っていたし何であんなに遊んでいたのに、いざ捨てるっていう境目がやって来たんだろう。多分あれが自分の、モデルとしての原点だったって今になって思うわ。

この職業に就きながら、服を買うということに興味はなくて、やっぱり着るっていうことに興味があるんだって思った。いや、分からないな、まだ(笑) 思い返すとただ着るっていうことじゃなくなってくる瞬間が訪れるし、服に対しての服に纏わる自分も変わっていくし、これを考え始めると言いたそうなことはあるんだけどまだ言葉にするのが難しくて、腑に落ちてなさそうなのでまだまだ着るを続けるんだと思います。でも変わらないのは、今でも着るっていうことには夢が一杯詰まってるって思うんです。

結局自分の話になっちゃったけど、娘が夢中になれるものを見つけられたら良いなぁ。

今は「どうぶつえん」っていう本を一生懸命自分でも捲ろうとしているね



2021年2月6日土曜日

幸せな人生とは

 おばあちゃんの遺品を整理していて見つけたもの



左から二番目にちょこんと座っているのがお婆ちゃん。

自分が産まれた時からお婆ちゃんはお婆ちゃんという存在だったけれど、誰かの娘であり、妻であり母であり、一人の女性だったんだよな。

お婆ちゃんが生前、家族一人一人に宛てたメッセージも見つけたんだけど

「幸せな人生でした」

お婆ちゃんと最期の時を過ごしてから、人って自分の命をコントロールできるんだろうか。死期っていうものがなんとなく予測できるものなんだろうか。

これは私にはまだ分からないな。


2021年2月5日金曜日

寝笑

 気が付くとずっと放置してしまうブログ。

今寝ている娘を抱きながら片手で打ってるものだから、一行目のブログですら何回「ブロゲ」って打ったか。

毎日この抱く時間というのがあるのだからその間に日々の記録を綴ってみようと思って。

あっという間に4ヶ月

最近は寝ながら何かを掴んで持ち上げるようになった。首もだいぶ座って抱っこがしやすくなったよう。


笑いながら寝ている。
笑顔なら良いわ。ほんとずっと笑っていてほしいと願うばかり。


2021年1月2日土曜日

 12月30日の朝、大好きなお婆ちゃんが逝ってしまいました。これは悲しいとかそういうお話しではなくて、人の一生とは最期とはなんて美しいのだろうと思いました。

コロナの影響もあって里帰り出産ができず、なかなか奈良にも帰れませんでした。


奈良に帰ったその日、娘を抱きながらお婆ちゃんが寝ている部屋のドアを開け、

「お婆ちゃん」と言うと物凄く驚いた目をしてゆっくり起き上がり、両手を出したので、そこに娘を乗せました。

お婆ちゃんはしばらく娘を抱いて離さず、疲れたようにまた横になりました。

小さな声で「ありがとう」と聞こえました。

それからもう起き上がることも喋ることもありませんでした。


そこから自分自身で最期の逝き方を選択するように、草木がその季節になれば枯れてしまうように全てを使い果たし、美しく逝きました。


人生って選択と決断の繰り返しなんだけれども最期の最期まで自分の人生を強く美しく生きたお婆ちゃんが素敵で仕方ないです。いつもお茶を入れるタイミングが素晴らしく、私の好きな食べ物はハンバーグですとこれまで言ってきたのもお婆ちゃんのハンバーグが世界一美味しかったからです。


ありがとうありがとう。大きく育ててくれて。

新年早々に暗そうにみえる話ですが、暗い話ではなく、人の、とても美しい話です。



お婆ちゃんと私。

強く美しく潔く生きるのだ。