2018年4月4日水曜日

舞台のこと

舞台のことについて昨日話す事があって、色んな事を思い出しました。

「何で舞台をやっているのか」と聞かれる事が多いのですが、
私、モデルになった時にモデルになったのだから絶対夢は海外のコレクションに出る事と決めて、20代の前半はどうやったらそこに行けるかという事をずっと研究していました。実際自分の力で海外に行ってイギリスでもまさかこんな事務所に入れると思わなかったのですがselect という当時私が物凄く憧れていたスーパーモデルのstella tennantさんと同じ事務所に運良く入る事が出来ました。入れた事はとても大きな喜びだったのですが、戦いはそこからで、想像を絶するほどの体験が待っていました。海外は日本と違って本当にシビアですから、コレクションでフィックスされていても直前で外される事はよくあって、撮影も途中で帰される事とかはよくあります。
あまり文章で伝えすぎないようにしますが、とにかくやり場の無い涙をたくさん流し、
とにかく孤独との戦いでした。20代後半をイギリスとの行ったり来たりを繰り返しているうちに、もう気力も体力もなくなってしまって、むこうに戻りたくないという気持ちが強く出て来てしまって、30歳を迎える前に、またここで古本屋のおじちゃんが出てくるのですが、「28歳くらいでやろうと思った事は30代に持って行けること」と言ってくれていたのを思い出して、今自分のほとんど頭の中の考えごとのベースがイギリスだったので、一度それをやめたくて、日本の事務所の社長に話をしに行きました。椅子で座って社長を待っていたら、「こんなオーディションあるけど受けたいなら自分で履歴書送んな」と一枚の紙を渡されました。

それが舞台のオーディションだったんです。何だか分からないけれど、私は今自分の次も何も無くて、でも目の前に現れたこの1枚の紙が、なんだかここに行かないと私のこの先はないんじゃないかとそのとき思って、すぐに履歴書を買いに行って、忘れもしないのですが、その日は雨が降っていて、何時間もかかって渋谷のカフェで履歴書を書き上げたのを覚えています。

それが2、3年前のことです。私は初めて舞台でダンスも経験し、8カウントを初めて知って、今まで孤独だったことが、たくさんの人達で言葉を繋いで2時間の舞台を作り上げていく。そしてそのとき忘れもしない旅立ちのシーンで「おはようって言ってくれる仲間がいた、いただきますって一緒に食べてくれる仲間が居た・・・」って、本当にシンプルなことなんですけど、毎日「おはよう」「いただきます」って一緒に誰かと過ごす事、こんな幸せな時間はないってその時、切に思いました。

そんなことで私は、自力でできる範囲には限界があって、誰かがいることで出来る事、皆のそれぞれの力を合わせれば出来る事がたくさんあるって、舞台から教えて貰いました。自分の今まで凝り固まっていた概念をいつもこの場所に来て心新しくすることで、またモデルに戻った時に、明らかに表情だったり色んな事への変化が自分で感じられたんです。だから1年に1度自分にとって挑戦の場をつくって、自分の中に色んなものを取り込んで行く。コレクションに行く事も舞台に出る事も自分の人生にとって挑戦ということに変わりがないからです。