2019年6月16日日曜日

蜘蛛の巣の涙

KINFOLKをたくさんの方々が手にとって下さって、私の方にもメッセージを頂いたり、ありがとうございます。

こんなことがあって、人生って不思議だなと空をポカンと眺めることがあるのですが、
私は20代の時漠然と、モデル=海外でコレクションを歩くということだと思っていました。
奈良で22歳まで育ち、奈良でモデルと言ったらファッションのテレビで、長身の方々が素敵な衣裳を纏って腰や肩をグネグネガンガン揺らしながら出て来ては静かにこちらに歩いてくるという印象がありました。
これがモデルってやつかと幼いながらに思った私自身は目立つことはそんなに得意ではなく、一つのことを黙々と一日でも二日でもひとりでやるようなやつでした。

そんなところから何年も先にひょんなことからモデルになるわけですが、
モデルという、私の頭の中にはそのテレビで観た映像がずっと残っていて、東京に来てなかなか普通に過ごしていてはそんなチャンスなんて訪れることもなく、現実と自分の意識とかけ離れていました。
その流れを断ち切るために海外に行くのだという強い意志で動き始めてから、回りの人には無理だと言われても、心の中では信じてやまずに海外に行くことに挑戦しました。

24歳だったかと思います。全然うまくいかず、パリでも事務所の門前払いに何度あったか分かりません。
とぼとぼとパリの街を歩き、自分はもう、コレクションを歩くようなモデルにはなれないんだと思って、日本に帰り、また日々を過ごしていました。
前の自分とは変えたくて色んなことにも挑戦しましたが、心にずっと残っていたのは小さな頃からの夢だったコレクションでした。

日本でも仕事もなく、ある人の死が私に大きなショックを与えてもう一度海外に挑戦することにしました。その時26歳でした。
モデルとしてはかなり年齢としては遅いですが、きっとこれから先もこの気持ちをぬぐいされない気がして、自分で納得をするために向かった、今度は国を変えてイギリスに行きました。

そしてイギリスでも大手のselect model managementというところと契約を結び、
本当に夢かと思いました。
しかし入れても、ここからが本当に苦しかった。
私の多分性格上の問題もあって、本当に今の自分からいうと、あの時こういう考え方を持っていればとか、本当肩をチョンチョンしてあげたいくらいです。

20代後半はイギリスと日本を行き来して、イギリスでは本当に精神がギリギリのところで過ごしていました。
そんな自分の写真を今でも自分のモデル人生で最も大切な写真だと思っています。

あの写真は今じゃ出せない、
あのときのイギリスの写真は恐らく世界でも注目されていたフォトグラファーが多かったと思います。HarleyやLena(今でも素晴らしいです)
あの時に撮った雑誌の中のヴィトンのクルーズコレクションの写真。
あのときがもうまさに自分の精神がギリギリのところに来ていて、その3日後かに日本に帰る時の写真でした。

(事務所のホームページより
Photography by Lena.C.Emery)

今でもこの写真を見るとあのときの胸にザンっと傷をおったような気持ち(撮影ではなく日常)を思い出せるほど爆発的なエネルギーを持っています。

(事務所のホームページより
Photography by Lena.C.Emery)

そして何年か経った今、KINFOLKの撮影の時にアートディレクターのKevinが「Lenaとの写真を見てから、ずっといつかHiromiと仕事がしたいと思っていた」と伝えてもらって、もう本当何年も前の写真よあの写真。
だけど誰かの心にずっと残っているものをあの時に撮影できたんだって思うと、本当精神はギリギリだったけれどあの頃の自分によく耐えてくれたと言ってやりたい。
本当にありがとうって言ってあげたい。こんな人生が待ってるなんて。

(KINFOLKの中のページ)

最近、色んなことを思うの。あーでもないこうでもないって。自分を試すことが増えた。
20代は頑固にこうだって思ってた自分があったし、だけど今はそうじゃない。
何が今現場で必要かということも、チームを信頼して任せるところを任せて、出るとこは出て、
もっと楽しんでやって良いって。
ちょっとこういうことを言いたかった訳じゃないんだけど頭にフワッと出たことが新しくてあとに続く言葉が出なかったうちにどこかへ飛んでっちゃった。本当言葉は刹那的だわ。

お洗濯ものもできた音が鳴ったし多分集中力も切れてきたのでこの辺で今日は思出話になっちゃって申し訳ないけど、すみません。思い出せて良かった。