2021年2月11日木曜日

SNSの咀嚼

色んな手軽で楽しいSNSがたくさんあるのだけど、やはり自分はブログが居心地が良い。

このブログ、何度か新しくなっているけど、上京した時から続けている。

社長が続けなさいと言ったことは、時代が新しくなったって細々と続けている。そしてここにはコメントが出来ないようになっているので、インスタ等を通して直接メッセージを下さったり。相当意を決してご丁寧なメッセージを頂くものだから本当にありがたい。

そして私も、この世界中のどこかで同じ気持ちで居てくださった方が居たんだと、世の中捨てたもんじゃないって思うわけです。

時代っていうのは新しくなるのが早いですねぇ。なんて思うけど、デジタルの世界がとても早いように見えるだけで、実際の自分なんてゆっくりゆっくりやっている。 

レモンを収穫して蜂蜜と美味しいレモネードを飲んだり、

コロナの自粛のお陰でやむを得ず人生で食事を作る回数が増えて、苦手な料理を少し美味しく見せることを考えたよね。

日々つらつらと書き留めている方が指一本で次の人の状況に移ってしまうSNSの早さより私ゃ咀嚼ができる。

2021年2月9日火曜日

あうあうあうあう

娘の最近は何かとしっかり見たり聞いたりして、「あうあうあうあう」とちょっとクレーム交じりのことから泣きに入るようになった。

その頃に何か歌を歌うと、ちょっと耳を傾けてしばし泣き止む。

しかし私は自他共に認める音痴なんだが、これ間違って娘は音程を覚えないかそれだけが心配。

結構顔もしっかりめに動かして歌うので途中から笑ってくれるのだけど、「お母さん、音痴やなぁ」って思ってくれてるくらいがちょうど良いんだけどな。




2021年2月8日月曜日

dries van notenの奇跡

 



デザイナーさんの中で、とても尊敬している
dries van noten


色使いといい、柄の間といい、風情があるという言い方があっているかは分からないけど、心が惹かれて止まない。


この世の中にお洋服なんてとてもたくさんあるのに、何でこの人のお洋服にこんなに惹かれるのか分からない。

仕事柄たくさんの服を着るので、仕事の時は服に対して素直に着るだけなんだけど、普段の自分が心惹かれて止まない。


どこかいつも自分の日本での記憶が呼び起こされるものがあるの。これなんかは竹久夢二の絵にとても似てる。


これなんて、自然のなかにこういう瞬間ってあるよなって思うの。自分の髪と髪の間をすり抜けて頭皮に触れる温度が心地よい風の季節に、フッと空を見上げたら木々が揺れてるの。


これなんかは西加奈子さんの「サラバ!」に出てくるお姉ちゃんと奇妙キテレツの巻き貝がいつも思い起こされるわ。

服を見て何かしらの人の心が思い起こされるから好きなのかな。

色使いや柄を非常に尊敬しているとここまで述べてきたけれど
私が大切に大切にしているdriesのコートは無地で、色も仮縫いの型につかうような生地の色のもの。

極めてシンプルなんだけど、その昔イギリスの事務所に所属した自分への一歩にその服を選んだんだわ。
なかなかシックなものを選んだなと思ったけど、あれはお婆ちゃんになってもきっとかっこよく着れるだろうと一生もののコートなんだわ。







2021年2月7日日曜日

夢中になれること

芦田愛菜ちゃんとサンドウィッチマンさんが出ている博士ちゃんという番組を観ていて

子供があんな風に好きなことを溢れんばかりの笑顔で話している姿が最高でたまらない。

私も娘があれくらい夢中になれるものを見つけられたら良いなぁと思っています。

私の場合は興味のあったものっていうのが

●宇宙の話

これは今でもやっぱり好きで近年でははやぶさの無事の帰還の本を読んで感動し、こんな素晴らしいこと誰かに伝えなきゃって鼻息荒く伝えたら、友人の顔が「??」に近い顔をしているのが分かってハッとしたことを覚えています。

●記憶しているものとしてピアノ

簡単な電子ピアノを小さい頃に買ってもらっていて、それを独学でずっと弾いていた。あれだけ弾きたいという欲があったのになぜ習わなかったんだろうと思うけれど、そういうことでもなかったのかな。今でも分からないけど習うと続かないものだったのかも知れないし、今でもきっと弾けたらなぁってどこかで思ってるかも知れない。

●卑弥呼について

なぜだか分からないけど卑弥呼の話ばかり読んでいた。それのお陰で弥生時代に非常に詳しくて、本当は争いのない縄文時代とか、縄目の紋様の土器とかの方が今見ても良いなぁなんて思うんだけど、当時は卑弥呼に没頭して、弥生時代の近畿説、九州説について近畿であることを願っていた。


そしてなんてったって一番長く遊び時間に費やした、紙の着せ替え人形が私の幼少期をほぼ埋めていましたね。

ぬり絵とかが売っている同じコーナーに置かれた、多分一冊300円もしないようなやつで、セーラーヴィーナスの美奈子ちゃんに一日中色んな服を着せて遊んでいました。来る日も来る日も。

たくさん持っていたし何であんなに遊んでいたのに、いざ捨てるっていう境目がやって来たんだろう。多分あれが自分の、モデルとしての原点だったって今になって思うわ。

この職業に就きながら、服を買うということに興味はなくて、やっぱり着るっていうことに興味があるんだって思った。いや、分からないな、まだ(笑) 思い返すとただ着るっていうことじゃなくなってくる瞬間が訪れるし、服に対しての服に纏わる自分も変わっていくし、これを考え始めると言いたそうなことはあるんだけどまだ言葉にするのが難しくて、腑に落ちてなさそうなのでまだまだ着るを続けるんだと思います。でも変わらないのは、今でも着るっていうことには夢が一杯詰まってるって思うんです。

結局自分の話になっちゃったけど、娘が夢中になれるものを見つけられたら良いなぁ。

今は「どうぶつえん」っていう本を一生懸命自分でも捲ろうとしているね



2021年2月6日土曜日

幸せな人生とは

 おばあちゃんの遺品を整理していて見つけたもの



左から二番目にちょこんと座っているのがお婆ちゃん。

自分が産まれた時からお婆ちゃんはお婆ちゃんという存在だったけれど、誰かの娘であり、妻であり母であり、一人の女性だったんだよな。

お婆ちゃんが生前、家族一人一人に宛てたメッセージも見つけたんだけど

「幸せな人生でした」

お婆ちゃんと最期の時を過ごしてから、人って自分の命をコントロールできるんだろうか。死期っていうものがなんとなく予測できるものなんだろうか。

これは私にはまだ分からないな。


2021年2月5日金曜日

寝笑

 気が付くとずっと放置してしまうブログ。

今寝ている娘を抱きながら片手で打ってるものだから、一行目のブログですら何回「ブロゲ」って打ったか。

毎日この抱く時間というのがあるのだからその間に日々の記録を綴ってみようと思って。

あっという間に4ヶ月

最近は寝ながら何かを掴んで持ち上げるようになった。首もだいぶ座って抱っこがしやすくなったよう。


笑いながら寝ている。
笑顔なら良いわ。ほんとずっと笑っていてほしいと願うばかり。


2021年1月2日土曜日

 12月30日の朝、大好きなお婆ちゃんが逝ってしまいました。これは悲しいとかそういうお話しではなくて、人の一生とは最期とはなんて美しいのだろうと思いました。

コロナの影響もあって里帰り出産ができず、なかなか奈良にも帰れませんでした。


奈良に帰ったその日、娘を抱きながらお婆ちゃんが寝ている部屋のドアを開け、

「お婆ちゃん」と言うと物凄く驚いた目をしてゆっくり起き上がり、両手を出したので、そこに娘を乗せました。

お婆ちゃんはしばらく娘を抱いて離さず、疲れたようにまた横になりました。

小さな声で「ありがとう」と聞こえました。

それからもう起き上がることも喋ることもありませんでした。


そこから自分自身で最期の逝き方を選択するように、草木がその季節になれば枯れてしまうように全てを使い果たし、美しく逝きました。


人生って選択と決断の繰り返しなんだけれども最期の最期まで自分の人生を強く美しく生きたお婆ちゃんが素敵で仕方ないです。いつもお茶を入れるタイミングが素晴らしく、私の好きな食べ物はハンバーグですとこれまで言ってきたのもお婆ちゃんのハンバーグが世界一美味しかったからです。


ありがとうありがとう。大きく育ててくれて。

新年早々に暗そうにみえる話ですが、暗い話ではなく、人の、とても美しい話です。



お婆ちゃんと私。

強く美しく潔く生きるのだ。