2018年7月25日水曜日

僕のほぼ日手帳

ほぼ日手帳と撮影で出会ってから私の手帳はほぼ日手帳になった。
マンスリー、ウィークリー、一日一日のページがついていて、サイズとしては大きいのだが、毎日ちょっとしたことを書き留めるのに物凄く良い。

忙しい時期が続くと、この前の舞台稽古のように3ヶ月間身も心も落ち着かない日々を過ごして、自分のペースは乱れて、自分の心の声が分からなくなる。その代わり稽古場で全力で生きてる。そんな時は自分で書くという行為が全く出来なくって、空白になってしまった。所々休みがあったのでその時に何かを少し書いていたりするのがほとんど3ヶ月白紙だった。舞台が終わって、その時の精一杯を毎公演出し切って、終わった頃には自分の中身は真っ新になっていた。それを楽しみたくて毎日色んな実験をしてみた。心に浮かんで来る言葉を書き留める作業。それを書いていると、1ページじゃ足りなくなって、月日を遡って、日付を書いて、数ページ書き始めている。今年のほぼ日手帳は全ページ埋まるんじゃないかと思っている。
イギリスに居た時も壊れた配水管のように心の中から溢れ出る言葉をノートに綴っている。何を書いたかは覚えていないが、恐らく初めて見る世界と言語に打ち拉がれながら、日本語を喋りたくていっぱいいっぱい書いていたに違いない。冬のイギリスの空みたい心で。

今でもそのノートを開く事が出来ないでいる。物凄いエネルギーを持っているだろうと、そのときに撮った写真もやはり今見返してもとりつくろうものもなく、どちらかというと負のエネルギーを発しているものも多い。だけどそれが生きてるってことでもあった。当たり障りの無い事が表現ではない。正でも負でもその時の精一杯が何らかのエネルギーに繋がってる。負だからって悪い写真じゃない。むしろ物凄く私は惹かれる。恋いこがれてる。何年経っても色褪せない写真だもの。よく生き抜いてくれた。耐えてくれたって、そのとき大人だったけど、何だか小さい子供みたいに見える。むき出しの。

話がずれてしまった。また今思い当たる事をずっとずっとほぼ日手帳に書き留めている。自分を知るのにこれが多分いい方法なんだろうと思って。続けてみて、思い浮かんだ事はどんな小さな事からでも動いてみている。