2019年5月29日水曜日

音楽って凄いなと思うことが増えた。
ずっと見たかった『楽聖のベートーヴェン』
ご本人の人生と、その時の心情が音楽になってて人生になっている。


いつか思ったことがある。音符が読める人は音符で会話が出来るのだろうか。数々の著名な人たちが残した曲の全体のこの音が
『隠された作者の本当の心情』
みたいなのとか。

私は専ら学生時代に国語と音楽が苦手で、国語のセンター試験の問題ではいつも困っていた。
ある日どうしたら国語ができるのだと、いつも満点に近い数字を叩き出していた友人に聞いてみた。
『質問を読むと答えが浮き彫りになる』
もうその時の想像の記憶しかないけど、その部分の文字だけが凸の形で浮かんで(もはやウネウネ動いてる)見えるのかと。

まぁ、そんな現象を未だかつて感じたこともないのだけど本当国語だけは色んな人の言葉が蘇るわ。

人と人を繋いでくれるものだったり、何て美しい表現が、そしてそれが自分の頭の中に思い描かれる光景。あとは撮影に当たっての世界観の共有とか。

音楽の方が世界観の共有としては現場で、「この雰囲気で」とカット毎に選曲されているときもあって、どちらかというとその方が私には分かりやすい。一枚の写真にはある女性(女性像)がその服を纏うということのストーリーと人生がある。
それが絵として見る人の方にやってこないと成立していない。

そもそも音符を読むという感覚ではないのかな。私にはその世界はわからない。

今1時間近くかけて第九を聞いています。